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<title>吉田松陰と幕末の志士</title>
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<description>吉田松陰と幕末の志士たちの志に学ぶ。激動の時代　命をかけて走り抜けた志士達。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 19:33:20 +0900</pubDate>
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<title>入江九一　彗星の如く奔る　</title>
<description>松下村塾四天王の一人、入江九一。１８３７年（天保８年）４月５日長州藩の下級武士、入江嘉伝次の長男として萩に生まれる。１３歳の頃より藩の下役に就くが、２０歳のときに父が死去し、家計を助ける為に江戸藩邸に勤務するようになる。１８５７年（安政４年）９月、中谷正亮から入江九一についての情報を得ていた松陰は、吉田稔麿を介して来塾を勧誘する。しかし、この時入江は公務で江戸に居た為、実際に松下村塾への入門するのは１８５８年７月初旬になる。吉田松陰は入江を「使い走りの身でありながら、世を憂い、改革する強い志を持っている。その考えは自分と非常に共通している。しかし真に尊いのは、彼の憂いが切実で、それに対する改革策が本質を突いていることであり、私の及ぶところではない」と賞賛しており、後に高杉晋作・久坂玄瑞・吉田稔麿と共に『松門四天王』に数えられるほどである。ここで入江が高杉や久坂たちと違うのは、出自が低いことである。此の辺りが松陰の志が高ければ家の位等は関係ないといったところの表れなのだろう。才能や志高い人間をどんどん入塾させている。また入江ももともとが下級武士だったので、己に奢る事無く実直に松陰の考えを受け入れ、それを実現するために奔走していく。入江は師・吉田松陰の影響で、早くから尊王攘夷運動に奔走する。１８５９年（安政６年）２月、間部詮勝の暗殺計画に加わりますが、この計画は長州藩行相府宛てに、松陰自ら襲撃申請をしており、藩により吉田松陰は投獄・松下村塾の閉鎖をもって阻止されてします。どこの世の中に襲撃計画を申請する人がいるのだろう・・・この辺りが松陰の憎めないところというか、温かみを感じる部分である。長州藩も松陰の才能は認めており、これを惜しんだために、これ以上松陰が暴走しないようにした手段だった。獄中の松陰は入江九一に後事を託したという手紙を送り、なんとか計画を遂行してもらいたいと頼むのである。松陰は京都に尊攘堂を建てて勤王の志士を祀り国民の志気を鼓舞したいと考えていた。入江は実直にこの師からの依頼を受け、他の塾生たちが尻込みした「伏見要駕策」　（藩主を伏見で待ち伏せし、上洛して幕府の失政を問いただしてもらおうとするもの）に立ち上がるのです。結局他の塾生から情報が漏れ、入江九一の代わりに伏見要駕策を実行しようとした弟、野村和作が逮捕される。共謀した罪で入江九一も投獄されてしまう。１８５９年（安政６年）６月、幕府は長州藩に松陰の江戸送致を命令する。松陰は獄において、老中暗殺計画を自供して自らの思想を語りるのである。話せば分かってもらえると思っていたということだ。しかし、幕府は松陰の考えは危険であると判断し、遂には吉田松陰は江戸にて処刑される。１８６３年（文久３年）桜田門外の変で大老井伊直弼が倒れ、長州藩論が尊王攘夷に転じたたことにより松下村塾の名声は高まり、尊王攘夷に転じた藩によって従来からの志を認められ、地方組足軽から終身士雇に昇格した｡その後の入江の活躍はめざましく、久坂玄瑞に従い、関門海峡の外国船無断往航に対し砲撃したり、高杉晋作の奇兵隊の幹部に入り、暴走しがちな晋作を止めたりといたるところで入江は活躍するのである。１８６４年（元治元年）禁門の変が起こります。久坂玄端、寺島忠三郎達らと山崎の天王山に屯し､浪士隊参謀として鷹司邸内で奮戦しますが､会津・薩摩を中心とした王城警護の軍の前になす術もなく敗北。久坂の戦死に際して、「入江あとは頼む！」と後事を託され、囲みをついて出ようとした時､被弾して重傷を負いその場で切腹します｡入江九一　享年２８歳。彗星の如く、激動に奔り抜けた入江九一。その姿は吉田松陰から「君だけは国のために死ねる男児である」と評されるほど。後年、木戸孝允・大村益次郎たちによって、長州藩内の桜山神社、朝日山護国神社、京都霊山護国神社、靖国神社に護国の英霊として祀られている。ランキングはこちらをクリック！　　　　　　</description>
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<category>入江九一</category>
<pubDate>Thu, 22 May 2008 10:58:47 +0900</pubDate>

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