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<title>吉田松陰と幕末の志士</title>
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<description>吉田松陰と幕末の志士たちの志に学ぶ。激動の時代　命をかけて走り抜けた志士達。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 19:33:20 +0900</pubDate>
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<title>武市瑞山　土佐勤王党の結成</title>
<description>１８６１年（文久元年）武市瑞山は江戸に出る。１８５６年（安政３年）に志学館に入門していらい５年ぶりの江戸だった。江戸はペリーの来航以来すっかり様変わりしており、時代が大きく動いているのは誰の目から見ても明らかであった。今回の武市の江戸出府は盟友　大石円の招請によるものだった。大石は藩の命を受け、洋学研究の指名を受けており、江戸にて勝海舟に入門、長州や薩摩の志士らと盛んに交流をしていた。江戸に来た武市を大石は知己の者たちに紹介していった。安政の大獄後、桜田門外の変を経て各藩の若者たちの心は猛っていたときである。誰もが多くの人物と交流し、新しいものに興味を示し、様々な考え方をもっていた。そんな中、武市は長州の久坂玄瑞らと知遇を得た。久坂等から吉田松陰の考え方や教えを聞き、彼らと共に時勢を語り合った。大石と武市はその中である行動を起す。土佐勤王党を立ち上げるのである。このとき大石が綴った盟約文にはこう書いてある。「老公かく有難き御心におわしますを、などこの罪には落ち入りたまいぬる。君辱めを受ける時は臣死すと。況や皇国の今にも衿を左にせんを他に見るべき。かの大和魂を奮い起こし、異性兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、あい謀りて国家興復の万一に稗補せんとす。錦旗もしひとたび揚がらば、団結して水火をも踏むとここに神明に誓い、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御志を継ぎ、下は万民の患いをも払わんとす。」とある。ここに言う老公とは、土佐前藩主、山内容堂のことである。盟約文中にもあるように、容堂の志を継ぐとある。武市は終生、藩に対する忠誠は尋常だった。こと容堂に対する心酔ぶりは異常で最後の最後まで藩のため、容堂のためと生きていた。片や容堂は佐幕姿勢を持ちながら、自藩の生きる道を探るような動きをしていた。当時の土佐藩では土佐勤王党などが出現する事自体が考えられないものであった。こうした容堂との考え方の齟齬が、その後の武市を悲劇を生むことになる。江戸にて土佐勤王党を立ち上げた武市は９月には土佐に戻る。土佐にても加盟者が募られ多く者が参加する。その多くは郷士であり、積年の辛い思いが彼らを奮い立たせていたのだろう。武市はそんな彼らの思いを受けながら生きていくことになる。ブログランキング参加中です。応援よろしくお願いします。ランキングはこちらをクリック！　　　</description>
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<category>武市瑞山</category>
<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 10:12:00 +0900</pubDate>

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<title>武市瑞山　三文字切り</title>
<description>土佐の多くの郷士に慕われた武市半平太は土佐勤王党を結成する。結成した翌年、１８６２年（文久２年）武市は土佐藩主　山内豊範への進言を退け、公武合体派の土佐藩　参政の吉田東洋暗殺を計画する。土佐における上士と郷士の身分差別はかなりひどく、多くの郷士達の恨みの矛先にもなっていたのかもしれないが、武市自身も藩政の中で虐げられたところもあったのではないだろうか。実行犯に選ばれたのは土佐勤王党の、那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助であった。吉田東洋暗殺後、武市は東洋派重臣を要職からはずし、新たに要職に就いた守旧派を傀儡として藩政の実権を掌握していくことになる。ついで藩主山内豊範を擁して入京し､他藩応接役として諸藩の有志と交わり､幕府に対して攘夷実行を命じる勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。これらの動きが功を奏し、朝廷が攘夷の朝議を決した際、一橋慶喜がこれをくつがえそうと入京を画策したが、武市は、裏工作により、これを一時妨害することに成功している。また、京における武市は数々の佐幕派暗殺を指示。天誅、斬奸と称して、刺客を放ち、政敵を暗殺させていく。武市の下で岡田以蔵、薩摩藩の田中新兵衛が暗殺を繰り広げていき、土佐の吉田東洋の暗殺以後、暗殺のたびに自分自身の理想に近づいていくことに充実感もあったのではないだろうか。攘夷督促の勅使三条実美や姉小路公知の東下にあたっては､姉小路の雑掌となり､柳川左門と変名して１０月に京都を出発した｡このころが武市瑞山と土佐勤王党の最も華やかな活躍時代で､武市は年末に留守居組に列せられて上士格に進み､１８６３年（文久３年）京都留守居役となった｡しかし、そんな時代も長くは続かなかった。１８６３年（文久３年）８月１８日、会津藩と薩摩藩が結託したクーデターである八月十八日の政変で長州藩が中央政界で失脚すると事態は一転する。勤王派は急速に衰退し、代わって公武合体派が主導権を握るようになる。これは土佐藩でも同じように時勢に流されていく。公武合体派の前藩主で老公と呼ばれた山内容堂の影響力が再び増すこととなる。土佐に帰国していた武市は、側近の平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太が青蓮院宮の令旨を盾に藩政改革を断行しようとしたことを理由に捕縛され、切腹を命じられていく姿を見ながら時代の変化に苦悩する日々を費やしていく。そんな武市だったが、遂には武市自身にも捕縛命令が下りる。９月に逮捕、投獄され、獄中闘争のなか、まだ捕まっていない同志を思い、吉田東洋暗殺も否定し続けた。岡田以蔵が捕まると、武市は岡田以蔵が京でのあるゆることを自白する前に毒殺しようとするが失敗し、これに対し以蔵が怒りすべてを自白していくことになる。岡田以蔵の自白により武市瑞山の罪状はおおむね決定するが、それでも武市は東洋暗殺を否定していたが、１８６５年（慶応元年）閏５月１１日「君主に対する不敬行為」という罪目で切腹を命ぜられる。切腹に際し、武市は三文字の切腹を成し遂げて、武士の気概を見せつけた。享年３６歳。このことが土佐藩を薩摩、長州に遅れをとる要因となったことはいうまでもない。維新後、山内容堂は武市を殺してしまったことを何度も悔き、後藤、板垣は妻・富子に対し、武市を切腹させたのは間違っていたと頭を下げたという。辞世の句はふたゝひと　返らぬ歳を　はかなくも　今は惜しまぬ　身となりにけり ブログランキング参加中です。クリックして応援お願いします。　　　『武市半平太―ある草莽の実像』批判―併せて我が国史壇批判(2003/12)横田 達雄商品詳細を見る</description>
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<category>武市瑞山</category>
<pubDate>Mon, 24 Mar 2008 11:57:42 +0900</pubDate>

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<title>土佐勤王党の盟主 武市瑞山</title>
<description>土佐勤王党の盟主　武市瑞山。通称は半平太、武市半平太である。土佐国　武市家に生まれる。武市家はもともと土地の豪農であったが白札に昇格したことにより身分としては郷士だが、当主は上士に準ずるといったあつかいであった。坂本龍馬とは遠縁にあたるようで、幼い頃より面識があったのではないだろうか。文武に秀でていた半平太は郷士の間でも信頼と人望は厚く、１８４９年（嘉永2年）に土佐城下の新町で剣術道場を開くと、ウワサを聞きつけて門下生はあっという間に集まっていたと言う。門下生の中には中岡慎太郎、岡田以蔵等もおり、後の土佐勤王党の母体となっていく。１８５６年（安政３年）武市半平太は江戸へ出て鏡心明智流の桃井春蔵に学ぶ。ここでも才能を発揮し塾頭となる。江戸滞在中に桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作など尊皇攘夷派の長州藩士とも交流することで、その考えと思想に影響を受けている。１８６１年（文久元年）一藩勤皇を掲げて坂本龍馬、吉村寅太郎、中岡慎太郎らの同士を集めて、江戸にて土佐勤王党を結成する。半平太の人生が大きく動き始めた瞬間である。ブログランキング参加中です。クリックして応援お願いします。　　　武市半平太伝―月と影と(1997/03)松岡 司商品詳細を見る</description>
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<category>武市瑞山</category>
<pubDate>Sat, 22 Mar 2008 18:25:58 +0900</pubDate>

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