2008年10月27日

吉田松陰 死して君親に負かず

[吉田松陰] ブログ村キーワード
吉田松陰 今日の一言 
『死して君親に負かず』

吉田松陰一日一言

吾れ今国の為に死す、死して君親に負かず。
悠々たり天地の事、鑑照、明神に在り。


私は今、国家のために死ぬ。
死ぬけれども、君や親には一切背いていない。
果てしなく、永久に天地は存在する。神様が私の心をきちんと見通してくださっている。

この詩は松陰が処刑される前に歌ったものである。
死に臨んでまだ、志が揺るいでいないことに改めて敬服するとともに、学ぶべきことが多い。



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2008年10月27日

篤姫 宮崎あおい 第43回

篤姫 宮崎あおい 第43回 『嫁の決心』


将軍 徳川家茂の死を聞かされた天璋院は悲しみに沈んでいた。
天璋院は、和宮が髪をおろすこともなく京へ帰るつもりだと聞き、真意を問いただす。和宮は、幕府も徳川家も大奥も、自分にとってはもうどうでもよいのだと語る。

一方、薩摩では、小松帯刀島津久光の命を受け、京へ上る準備をしていた。
お近に、お琴とは別れると告げて出発する小松だったが、お琴との間に子ができていたことを知り、別れを切り出せなくなってしまう。

小松は西郷隆盛大久保利通と協力し、有力大名が政治に参加する列侯会議を開くことに成功する。
しかし、したたかな一橋慶喜に翻弄され、会議は失敗に終わる。
こうなれば力で幕府を倒すしかないと決意する西郷と大久保に、小松帯刀は衝撃を受ける。

大奥では、和宮が京に帰る日取りを天璋院へ報告に来る。
和宮を責める本寿院に対し、和宮は家茂を心から思っていたと反論する天璋院であった。和宮は家茂への思いを断ち切るように髪を下ろし静寛院となる。
自分の思う道を生きて欲しいと告げる天璋院に、静寛院は「母上様」と呼びかけ、自らの決意を語り始める…。

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2008年10月26日

吉田松陰 初心に負かん

[吉田松陰] ブログ村キーワード
吉田松陰 今日の一言 
『初心に負かん』

吉田松陰一日一言

栄辱によって初心に負かんや。

栄誉と恥辱によって、初心に背いてよかろうか。背くべきではない。
初心忘るるべからず!


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2008年10月25日

坂本龍馬と高杉晋作夢の対談

「明治維新140周年記念薩長土肥サミットinしものせき」が11月18日に開催される。
NHK大河ドラマでは「篤姫」でも「明治維新」にいたる歴史の展開が描かれているが今年はその明治維新がなってから140周年となるのだ。
それを記念して、薩長土肥の市長が幕末時にかかわりの深かった地「下関」に終結する。
そのイベントのひとつとして、維新の英雄、坂本龍馬と高杉晋作の対談が行われるというのだが。
「薩長土肥」の市長が幕末ゆかりの地「下関」に集まり、これからの街づくりなどを考えるというのが今回のテーマである。
市長らのパネル対談だけでなく、直木賞作家の古川薫氏による講演「明治維新140年を振り返って」など興味深いイベントが行われる。
古川薫氏は山口県出身の作家で、「漂泊者のアリア」で第104回直木賞を受賞した、年齢65歳で最高齢受賞にして、それまで10回候補にあがったのも最多となるものだ。
受賞作は藤原歌劇団を創設したオペラ歌手の藤原義江について書いたものだったが、氏の作品は「高杉晋作」「吉田松陰の恋」など幕末期のとくに長州の歴史についての作品が多い。

今回のイベントでもっとも話題となっているのが
[架空対談]
坂本龍馬vs高杉晋作 『両雄「その後」を語る』
なのだが、脚本がこの古川薫氏によるものなので、こどもだましの寸劇ではない本格的な内容が期待できる。

高杉晋作は、早く世を去ってしまったが藩命で上海などに渡航して当時の清国が欧米に植民地化されようとしている現状を見た、当時として異例な体験をした志士である。
それだけに、彼は幕藩政治の改革の必要性を必死で考えた。武士以外の農民などで組織した「奇兵隊」を結成するなど発想の仕方は龍馬に良く似ている。
一説では坂本龍馬に拳銃(リボルバー式)を贈ったのは高杉だといわれている。

その、両雄がどんな対談を展開してくれるのか、今の日本は幕末期に似ているともいわれる。
タイミング的に今回のサミットは大いに意味のあるものであろう。
歴史ファンならずとも興味あるないようじゃにだろうか。

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Posted by 左近将監 at 17:56Comments(0)TrackBack(0)

2008年10月25日

吉田松陰 身はたとひ

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吉田松陰 今日の一言 
『身はたとひ』

吉田松陰一日一言

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂。

誰でもが知っている吉田松陰の辞世の句としていものだ。
安政6年の今日、10月25日『留魂録』の書き出しの歌。

我が身はたとえこの武蔵野の地に朽ちるとしても、大和魂だけは、永遠に留まって護国の鬼となるぞ。

松陰のこの魂がのちの明治維新に繋がっているのは間違いがない。
それは、松下村塾の門下生達が原動力となり維新回転に奔走している。
松陰に続き、若い命が多く散っていった。
現代社会も混沌としている以上、志ある若い志士の登場が必要なのかも知れない。
この平成の時代にまた維新が必要になってきているのではないだろうか。


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2008年10月24日

中根雪江 春嶽の右腕

福井藩主 松平春嶽を補佐し、ペリー来航の歳の開国論を説く男 中根雪江

中根雪江は、福井の城下に生まれいてる。
1830年(天保元年)家督を継ぎ、藩の儒学者に学び、1836年(天保7年)に福井に来遊した国学者橘尚平の説に感服し、江戸に赴いて平田篤胤から国学を学ぶことになる。
1838年(天保9年)松平春嶽が藩主に就任すると御用掛となり、橋本左内らとともに藩政改革に参与するようになる。
側用人として幕政に進出した春嶽の参謀となった中根は、1853年(嘉永6年)にマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊が来航して通商を求めると、攘夷論者であった春嶽に対し開国論を進言するのである。

このペリー来航で激震を覚えた中根は多くの見識者たちと交学するようになるのだ。
まずは時の最先端の水戸に赴く。
水戸において藤田東湖を訪ね、その外交意見を取り入れ、老中阿部正弘、熊本藩主長岡是容らとの折衝に当ったといわれている。これはおそらくは松平春嶽の意向であったものと思われる。
その後も水戸藩士などとの交流はしていたのではないだろうか。

将軍継嗣問題、条約勅許問題において一橋派の春嶽を助け、安島帯刀西郷隆盛橋本左内永井尚志らと折衝している。
しかし、一橋一派が敗北すると、大老井伊直弼は専横を極め、安政の大獄等が起こり、春嶽が失脚すると同時に中根も失脚してしまう。
春嶽が政界復帰し、政事総裁職になると、中根雪江横井小楠らと公武合体政策に従事し、将軍・徳川家茂の上洛運動に奔走。
1860年(万延元年)からは著作活動に専念し、春嶽らの政治活動を著わした『昨夢紀事』を記している。
1862年(文久2年)薩摩の島津久光周旋に際しては、伊地知貞馨岡部長常大久保一翁らと折衝し、また福井藩との連合を策する長州藩の桂小五郎らとも協議、幕府と長州との調和を図っている。
翌1863年(文久3年)にも朝彦親王・大久保利通らと協議し、過激尊攘派を抑え、公武合体の推進に努め、同年6月には藩論分裂の責により一時蟄居を命じられることになる。
8・18の政変以後は、幕政改革に尽力し、対立を深める幕府と薩摩藩との間に立つ春嶽を助け、老中小笠原長行永井尚志原市之進、薩摩藩の小松帯刀大久保利通らの間を奔走し、長州再征の不可を論じている。

大政奉還後は幕府・会津藩に対し、幕権の維持すべからざることを説き、土佐藩等と結び公武政体の実現に努力する
王政復古で成立した明治新政府の参与として出仕するが、翌年に免職。
福井で隠居し、著作活動を行うようになる。
しかし老いには勝てず、中根雪江 享年71歳で死去している。

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Posted by 左近将監 at 11:40Comments(0)TrackBack(0)福井藩

2008年10月24日

吉田松陰 衆議帰一

[吉田松陰] ブログ村キーワード
吉田松陰 今日の一言 
『衆議帰一』

吉田松陰一日一言

総じて大事を挙げ行う時は必ず衆議帰一の所を用うべし。
是れ政の先著なり。


全てにおいて、大切なことを審議決定し実行する時には、必ずみんなの意見が一致したものを採用すべきである。
これは政治を行う上で最も優先すべきことである。
全くその通りで、現代は各選挙区から政治家を立て、その政治家達が政治を行っているのだが。
私利私欲に走り、己の益のみを追及し、役人や官僚などの私服が肥える一方で我々末端の国民は疲弊しきっている。
重大な決議は是非、国民投票を行って欲しいものだ。
そうすれば、国民も納得するだろうし、決まった法案には従うはずである。



  
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2008年10月23日

吉田松陰 為さざるの志 確乎たらば

[吉田松陰] ブログ村キーワード
吉田松陰 今日の一言 
『為さざるの志 確乎たらば』

吉田松陰一日一言

為さざるの志 確乎たらば、一旦事変に臨むことありとも、必ず能く為すあるの業を成すことを得ん。
是れ吾が学を勤むる所以なり。


してはいけないことは絶対にしないという志が確かであれば、いつどのようなことが起きても、必ず立派に対応することが出来るであろう。これが私が学問をする理由である。






  
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2008年10月22日

吉田松陰 人材育せざるべからず

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吉田松陰 今日の一言 
『人材育せざるべからず』

吉田松陰一日一言

人材育せざるべからず。
蓋し人各々能あり不能あり、物の斉しからざるは物の情なり。
斉しからざる人を一斉ならしめんとせず、所謂才なる者を育することを務むべし。
今の弊、闔国の人をして皆一斉ならしめんと欲するにあり。
而して却って其の間、才なる者特出するを見ず。


人のもって生まれた才能というものは、育てずにおくべきではない。
ただし、人にはそれぞれできること出来ないことがある。
物が同じではないというのは物の本質である。
同じではない人を同じにしようとせず、いわゆる、その人の優れた才能を育てることに努めるべきである。
今の欠点は、全国の人をみんな同じにしようと願っていることである。
そうであるから、我が国では才能の特に秀でた人を見ないのである。
吉田松陰は幕末の頃よりこのようなことを言っていた。

現代社会も同じで、学校教育も全員をすべて同じに取り扱っている。
個人の才能は度外視にし、一定の基準を満たせば優秀で、それ以外の才能の持ち主は落第なのだ。
これは明らかにおかしい。

色んな才能の子がいる。其の才能を認め、伸ばし、褒めてあげることにより、他の学問も向上するはずだ。
日本の学校教育がそう簡単に変わるわけではないだろう、しかし、親としてその子を変えれることは出来る。
是非、その子の真の才能を伸ばしてあげて欲しい。






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2008年10月21日

吉田松陰 位に素して行う

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吉田松陰 今日の一言 
『位に素して行う』

吉田松陰一日一言


位に素して行う。

今ある場所で、今なすべきことを行う。
まさに真髄だ。
今、何をしなくてはいけないのか!何が出来るかだ!


  
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2008年10月20日

吉田松陰 親思うこころにまさる

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吉田松陰 今日の一言 
『親思うこころにまさる』

吉田松陰一日一言

親思うこころにまさる親ごころけふ(きょう)の音づれ何ときくらん。

父母のことを心配している私の心より、私を心配してくださる父母の心の方がはるかにまさっている。
今日の便りをどんな思いでお聞きになるのだろうか。

  
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2008年10月20日

篤姫 宮崎あおい 第42回

篤姫 宮崎あおい 第42回 『息子の死』

天璋院と和宮は、出陣した将軍 徳川家茂の無事を一心に祈っていた。

家茂は大坂にあり、一橋慶喜と長州攻めの準備をしていた。
しかし薩摩藩の大久保利通に兵を出すことを断られ、準備はなかなか進まない。
江戸から勝海舟を呼びよせ、事態を打開しようとする家茂だったが、間もなく病に倒れてしまう。

一方、小松帯刀は幕府の役人に襲われて傷を負った坂本龍馬とその妻・お龍をかくまうため薩摩へと案内していた。
お近と再会した小松帯刀は、京でお琴と一緒に暮らしていることを告白する。
怒りを抑えられず小松帯刀につらく当たるお近だったが、お龍に「惚れた相手が生きてさえいてくれれば」と諭され、小松帯刀を許す。

そのころ大奥には、家茂が病で倒れたとの知らせが伝わっていた。
天璋院と和宮は唐橋の勧めで、家茂の元に漢方医を派遣することにする。
しかし病状は悪化、勝は死の床の家茂と対面する。
家茂は若くしてこの世を去る悔しさに身を震わせながら、勝に天璋院と和宮のことを託す。
そしてひっそりと息をひきとるのだった……。


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Posted by 左近将監 at 09:26Comments(0)TrackBack(0)篤姫

2008年10月19日

吉田松陰 経籍に炳如たり

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吉田松陰 今日の一言 
『経籍に炳如たり』

吉田松陰一日一言

夫れ士君子の道は経籍に炳如たり。

心ある立派な武士や君子の生き方は、昔の聖典に明らかである。

  
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2008年10月18日

吉田松陰 吾れの位と為せる所は

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吉田松陰 今日の一言 
『吾れの位と為せる所は』

吉田松陰一日一言

吾れの位と為せる所は、身を処するに仁を以てし、志を練るに義を以てし、治には以って国の干城となり、乱には以て君の爪牙となる、其れ是れのみ。

私が今、心に期しているのは、人に対しては、慈しみや思いやりの気持ちを持ち、志を鍛えるにあたっては、人間の踏み行うべき正しい道をもって行うことである。
また、平時には殿の御楯となり、外国の侮りを防ぎ、国内を治め、戦時には殿の牙となり爪となってお守りすること、これだけである。






  
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2008年10月18日

山岡鉄舟没後120年 遺品や自筆の書展示

山岡鉄舟の没後120年を記念し、遺品や書を集めた「山岡鉄舟展」が11月1から10日まで、東京・谷中の全生庵で開かれる。

 鉄舟は幕臣の家に生まれ、戊辰戦争の江戸城無血開城に大きな役割を果たし、同じ幕臣の高橋泥舟勝海舟とともに「幕末三舟」と呼ばれた。
剣、禅、書の達人としても知られ、明治維新後は茨城県参事、明治天皇の侍従などを務めた。

期間中は、明治天皇から贈られた銀杯など鉄舟の遺品や自筆の書、高村光雲作の木像などが展示されるほか、1日午後3時から全生庵の平井正修住職が「山岡鉄舟の生涯」として講演、落語家の林家正雀が落語「鉄舟外伝~雛の雪」を披露する。

拝観料500円。
問い合わせは全生庵TEL03・3821・4715。


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Posted by 左近将監 at 09:16Comments(0)TrackBack(0)幕府側

2008年10月17日

吉田松陰 独り学びて友なくんば

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吉田松陰 今日の一言 
『独り学びて友なくんば』

吉田松陰一日一言

曰く、「独り学びて友なくんば、すなわち孤陋にして寡聞なり」と。

昔の人がいった。
「一人で学問をし、一緒に学ぶ友達がいなければ、学問の内容は偏り、見識はせまくなる」と。
色々な人がいて、意見を交わすことにより新しい物の見方も出てくるのでしょう。
偏った学問は偏見を生み、極端な思考へと向かわせることもある。




  
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2008年10月16日

吉田松陰 是非の心、人各々之れあり

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吉田松陰 今日の一言 
『是非の心、人各々之れあり』

吉田松陰一日一言

是非の心、人各々之れあり、何ぞ必ずしも人の異を強いて之を己れに同じうせんや。

何が正しく、何が間違っているかという心は、人たる者、誰もが皆それぞれもっている。
どうして人がちょっと違う意見をもっているからといって、これを強制して、自分と同じにする必要があろうか、ありはしない。





  
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2008年10月15日

斎藤弥九郎 剣術を通して育てた人材

斎藤弥九郎は1798年(寛政10年)斎藤新助(信道)の長男として生まれる。
斎藤家は加賀国守護冨樫氏の末裔と伝えられている。

1812年(文化12年)江戸に出て神道無念流剣術の達人・岡田吉利に入門。

同門には、あの江川英龍藤田東湖らがいる。
弥九郎は師の十松が驚くほどみるみるうちに剣の腕を成長させ、師範代となるのだ。
師匠の没後にはその遺言により道場を継ぐこととなった。

1826年(文政9年)江川英龍から資金援助を受けて独立し、江戸の九段下俎板橋近くに練兵館を開く。
この頃、すでに弥九郎の剣の腕は天下無双と称され、その道場である練兵館千葉周作の玄武館や桃井春蔵の士学館と並んで江戸三大道場の一つに数えられるほどになっていた。

1835年(天保6年)江川英龍が伊豆国韮山の代官となると、江戸詰書役として仕え、3年後の1838年(天保9年)老中水野忠邦は江戸湾防備強化のため備場見分を実施することとし、その正使に鳥居耀蔵を、副使に江川英龍を任命した。江川は測量の専門家の推薦を渡辺崋山に依頼するため、弥九郎にその仲介を頼んでいる。
また翌年正月から実施された備場見分に江川の手代として参加している。
1842年(天保12年)西洋砲術家である高島秋帆が徳丸ヶ原において演練を行うこととなり、弥九郎は弟の三九郎や他の江川の家臣とともに参加した。
かつて独立するのを助けてくれた経緯から品川台場の建築など、江川の代官としての仕事を助けている。
その後、水戸藩の徳川斉昭藤田東湖と親交を持ったために尊皇攘夷運動家の一人となるが、過激な尊皇攘夷には反対した。

道場を九段坂下の神田俎橋のほとりから現在の靖国神社の敷地内に引っ越した頃、長州藩の藩士数十名がこの新道場の道場破りに押しかけてきたことがあったが、弥九郎の三男斎藤歓道が一人で全員を打ち倒してしまった。
このため、長州藩は弥九郎の道場のレベルの高さに驚愕すると同時に敬意を示し、藩士の多くを練兵館に送って学ばせた。その門下生として、桂小五郎・高杉晋作・品川弥二郎・井上馨・伊藤俊輔たちがいる。

桂小五郎の次の塾頭には、美作津山藩士井汲唯一、肥前大村藩士渡辺昇、長州藩士太田市之進たちがいる。


1868年(慶応3年)時代は倒幕に傾倒しており、新政府軍が押寄せる中、彰義隊から首領になってくれるように望まれたが、これを拒絶する。同年明治政府に出仕し大阪会計官判事試補となり、さらに造幣寮の権判事に進む。
1871年(明治3年)大阪の造幣寮が火事になった折、猛火の中に飛び込み重要書類を運び出すことに成功するが、その時の火傷が元で東京に戻った。
そして11月14日死去。享年74歳であった。


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2008年10月15日

吉田松陰 才を老いしむべし

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吉田松陰 今日の一言 
『才を老いしむべし』

吉田松陰一日一言

壮士、当に其の才を老いしむべし。

厳かな侍は、その才能を老成させるべきである。


  
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2008年10月14日

吉田松陰 大器は遅く成るの理にて

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吉田松陰 今日の一言 
『大器は遅く成るの理にて』

吉田松陰一日一言

万事速やかに成れば堅固ならず、大器は遅く成るの理にて、躁敷き事にては大成も長久も相成らざる事に之れあるべく候。

何事もなく簡単に成長した人物は、意志が強く、他人に簡単に惑わされないかというと、そうではない。
立派な人物というものは時間をかけてゆっくり成長するのが道理であって、騒々しい状態ではホンモノの立派な人物になることはない。






  
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