2008年10月24日

中根雪江 春嶽の右腕

福井藩主 松平春嶽を補佐し、ペリー来航の歳の開国論を説く男 中根雪江

中根雪江は、福井の城下に生まれいてる。
1830年(天保元年)家督を継ぎ、藩の儒学者に学び、1836年(天保7年)に福井に来遊した国学者橘尚平の説に感服し、江戸に赴いて平田篤胤から国学を学ぶことになる。
1838年(天保9年)松平春嶽が藩主に就任すると御用掛となり、橋本左内らとともに藩政改革に参与するようになる。
側用人として幕政に進出した春嶽の参謀となった中根は、1853年(嘉永6年)にマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊が来航して通商を求めると、攘夷論者であった春嶽に対し開国論を進言するのである。

このペリー来航で激震を覚えた中根は多くの見識者たちと交学するようになるのだ。
まずは時の最先端の水戸に赴く。
水戸において藤田東湖を訪ね、その外交意見を取り入れ、老中阿部正弘、熊本藩主長岡是容らとの折衝に当ったといわれている。これはおそらくは松平春嶽の意向であったものと思われる。
その後も水戸藩士などとの交流はしていたのではないだろうか。

将軍継嗣問題、条約勅許問題において一橋派の春嶽を助け、安島帯刀西郷隆盛橋本左内永井尚志らと折衝している。
しかし、一橋一派が敗北すると、大老井伊直弼は専横を極め、安政の大獄等が起こり、春嶽が失脚すると同時に中根も失脚してしまう。
春嶽が政界復帰し、政事総裁職になると、中根雪江横井小楠らと公武合体政策に従事し、将軍・徳川家茂の上洛運動に奔走。
1860年(万延元年)からは著作活動に専念し、春嶽らの政治活動を著わした『昨夢紀事』を記している。
1862年(文久2年)薩摩の島津久光周旋に際しては、伊地知貞馨岡部長常大久保一翁らと折衝し、また福井藩との連合を策する長州藩の桂小五郎らとも協議、幕府と長州との調和を図っている。
翌1863年(文久3年)にも朝彦親王・大久保利通らと協議し、過激尊攘派を抑え、公武合体の推進に努め、同年6月には藩論分裂の責により一時蟄居を命じられることになる。
8・18の政変以後は、幕政改革に尽力し、対立を深める幕府と薩摩藩との間に立つ春嶽を助け、老中小笠原長行永井尚志原市之進、薩摩藩の小松帯刀大久保利通らの間を奔走し、長州再征の不可を論じている。

大政奉還後は幕府・会津藩に対し、幕権の維持すべからざることを説き、土佐藩等と結び公武政体の実現に努力する
王政復古で成立した明治新政府の参与として出仕するが、翌年に免職。
福井で隠居し、著作活動を行うようになる。
しかし老いには勝てず、中根雪江 享年71歳で死去している。

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