2008年08月01日

高杉晋作 晋作の攘夷論

[高杉晋作] ブログ村キーワード
高杉晋作の目指した攘夷とはなんだったのか。
攘夷論とはそもそも中華思想に由来するらしい。
外夷を撃ち払い、入国をさせないという鎖国論である。

長州藩は藩をあげて攘夷論を唱えた藩であり、高杉晋作などはその急先鋒であった。
しかし長州藩が目指す攘夷とはそんな単純なものではなかったようだ。

江戸幕府は朝廷の勅許がないままに勝手に日米修好通商条約を結んでしまう。
外国嫌いの孝明天皇は憤慨し、これを期に尊王攘夷を唱える志士達が蜂起する。
吉田松陰もまた、幕府の逃腰外交に強い危機感を感じており、このままでは清国の二の舞になると危惧していた。
日本が列強諸国の植民地になる。そのための攘夷であり、吉田松陰や晋作たちが目指す攘夷とは、日本が国威を示し、真の独立をして、欧米列強と対等な立場で開国するために、絶対に通らねばならないものだった。

そんな中起きた安政の大獄
原動力だった松陰を失った長州藩は開国支持に傾いていく、そこに立ち上がったのは久坂玄瑞らであった。
師の志を継ぐそれで立ち上がった久坂たちは藩論を再び攘夷に統一。
そればかりか、朝廷を通じて幕府を追い詰め孝明天皇の前で将軍徳川家茂に攘夷断行を約束させる。

こうして長州藩は時代の急先鋒となる。
長州藩は下関に砲台を築き、海峡を通る外国船籍を片っ端から砲撃した。
さらには攘夷の無謀を唱える学者や幕府が奇越した使者を惨殺するなど、急激に動き始めた。

過激な長州藩だったが、実はその裏で内密な動きをしていた。
それは攘夷後の開国だった。

松陰を最後まで庇っていた長州藩の周布政之助や、桂小五郎らは内密でイギリスに留学生を派遣することをしていた。
攘夷断行と秘密留学生この二つが表裏一体となっているところが長州藩の思想を物語っている。

現に周布は「攘排也排開也攘夷而後国可開」攘夷の後に開国すべし、としっかりと自身の考えを持っていた。
周布にとっても攘夷は政策の一部であり通過点だったのだ。

周布は晋作と仲がよく、この二人は思想においても共通していたものと思われる。
松陰の師 佐久間象山「東洋の道徳、西洋の芸術」と述べ、精神・思想は日本、科学・技術は西洋を用いよと説いている。

晋作も象山の薫陶を受けており、今後の行動を見ても晋作の攘夷論もこういったものだったのだろう。


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