2008年07月04日
中岡慎太郎 岩倉具視との共謀
中岡慎太郎の晩年に色濃くその影響を与えた人物・・・・岩倉具視。

1866年長州と薩摩が薩長同盟により結ばれると時代は急速に倒幕に向かって動き始める。
それまで日和見のような状態で動いていた土佐藩は焦りを覚える。
このままでは薩摩と長州から取り残される・・・・
危機感を感じた土佐藩は薩長と強い繋がりを持つ、土佐脱藩者の坂本龍馬、中岡慎太郎の脱藩を許し、支援することを決めるのだ。
龍馬は海援隊を、そして中岡は陸援隊を組織し動き始めた。
中岡の陸援隊は京都の本部を置き、土佐藩の遊撃軍的な存在であった。
その頃中岡は、大宰府の五卿と京都の公卿との間の提携を考え奔走していた。
しかし、訊ねる公卿たちは皆、時勢に疎く、中岡は落胆していたのである。そんなとき橋本鉄猪が中岡に岩倉に会う事を勧めた。
岩倉具視は当時、皇女和宮を降嫁を推進した人物として尊攘派から仇敵として見られていた。
実際に中岡もこの橋本の誘いに
「前中将は佐幕の大奸ではないか。これと王政復古の大策を計議するのは薪を抱いて火を救うようなものだ。まことに危険である」と言ったという。
橋本の熱心な誘いに中岡は心を動かされ岩倉に会う事を決める。
そして岩倉に会った中岡はこう評している。
「はからずも公卿の中にこのような人物がいたとは。私が前中将に会えたことは、天の助けだ。私の宿題はすでに達することが出来た」と語った。
その後中岡は岩倉をたびたび訪ね、親交を深め王政復古について相談していく。
そして中岡は坂本龍馬を連れ岩倉に会いに行くことになる。
後年、岩倉は「中岡・坂本二子を見るを得たるは大橋(橋本)子の恵みなり。誼を条公に通じ、交を西郷、木戸、広沢、黒田、品川五子に結びたるは、中岡・坂本二子の恵みなり」と回顧している。
もし、中岡が岩倉に逢っていなければ・・・もっと凄惨な明治維新になっていたかもしれない。
それを助けた橋本鉄猪も隠れた功労者の一人であろう。
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1866年長州と薩摩が薩長同盟により結ばれると時代は急速に倒幕に向かって動き始める。
それまで日和見のような状態で動いていた土佐藩は焦りを覚える。
このままでは薩摩と長州から取り残される・・・・
危機感を感じた土佐藩は薩長と強い繋がりを持つ、土佐脱藩者の坂本龍馬、中岡慎太郎の脱藩を許し、支援することを決めるのだ。
龍馬は海援隊を、そして中岡は陸援隊を組織し動き始めた。
中岡の陸援隊は京都の本部を置き、土佐藩の遊撃軍的な存在であった。
その頃中岡は、大宰府の五卿と京都の公卿との間の提携を考え奔走していた。
しかし、訊ねる公卿たちは皆、時勢に疎く、中岡は落胆していたのである。そんなとき橋本鉄猪が中岡に岩倉に会う事を勧めた。
岩倉具視は当時、皇女和宮を降嫁を推進した人物として尊攘派から仇敵として見られていた。
実際に中岡もこの橋本の誘いに
「前中将は佐幕の大奸ではないか。これと王政復古の大策を計議するのは薪を抱いて火を救うようなものだ。まことに危険である」と言ったという。
橋本の熱心な誘いに中岡は心を動かされ岩倉に会う事を決める。
そして岩倉に会った中岡はこう評している。
「はからずも公卿の中にこのような人物がいたとは。私が前中将に会えたことは、天の助けだ。私の宿題はすでに達することが出来た」と語った。
その後中岡は岩倉をたびたび訪ね、親交を深め王政復古について相談していく。
そして中岡は坂本龍馬を連れ岩倉に会いに行くことになる。
後年、岩倉は「中岡・坂本二子を見るを得たるは大橋(橋本)子の恵みなり。誼を条公に通じ、交を西郷、木戸、広沢、黒田、品川五子に結びたるは、中岡・坂本二子の恵みなり」と回顧している。
もし、中岡が岩倉に逢っていなければ・・・もっと凄惨な明治維新になっていたかもしれない。
それを助けた橋本鉄猪も隠れた功労者の一人であろう。
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