2008年05月16日
戸田氏栄 日米和親条約の使者
日米和親条約の使者、戸田氏栄は1799年(寛政11年)美濃国揖斐郡深坂村西村に生まれる。
名前の通り、大垣藩主戸田氏の一門で、大垣戸田家の分家深坂戸田家6代当主にあたる。
1847年(弘化4年)2月から浦賀奉行に着任し、従五位下伊豆守に叙任した。
当然ながら1853年(嘉永6年)ペリー来航の時、事態の重大性を見抜いて幕府に早船を送って注進しているのは戸田である。

幕府は氏栄と井戸弘道を幕府代表として久里浜でペリーとの会談をもたせる。
戸田・井戸らは鎖国している中のことではあるが、黒船を率いて強気に返答を求めるアメリカ側の姿勢を見て、やむなくフィルモア大統領の親書を受け取った。
この時、氏栄は本家の大垣藩に藩兵を送る様に要請、これに基づき大垣藩家老・小原鉄心から送られた130名の大垣藩兵を率いてペリーと接見したという。
威風堂々としたペリー艦隊をみた小原鉄心は日本の軍備の遅れを痛感したといいます。
その経験は大垣藩の軍事改革へと繋がっていきました。
戸田にしてみれば何で俺が赴任しているときに来るんだよ~~ってな感じだったのかもしれない。
ともかく浦賀奉行なのだから仕方ない。
アメリカ側の記録では、日本側の代表者は戸田伊豆守と井戸石見守という者であるということ。
戸田は50才くらいの男で、とても大きい額に智慮を現している風であると記載している。
さらに戸田氏栄の風貌として、端麗なる容貌には愛嬌を含んでいるとあり、戸田、井戸両人とも金銀の糸をもって作られた金襴仕立ての衣服を着ていたという。
この折、当時、奉行所応接掛であった中島三郎助という者がおり、通詞の堀達之助らとともに退去する様に幕府の意向を伝えるべく船に乗船しようと近づくが、当地の責任者でないことをもって乗船できないとのことで、奉行の副官と偽って名乗り乗船したという。
氏栄は幕府の全権であったが、臆して前面に出ることを嫌ったこともあって、以降中島がこの直接交渉のほとんどを担当したという様にいわれている。
翌1854年(嘉永7年)のペリーの再来航時も幕府は戸田に日米交渉の全権を命じ、日米両国間において日米和親条約を結ばせている。
結局このことが評価されたのか戸田氏栄は大坂町奉行に栄達するのだが、折りしも幕末。
京・大坂には志士が満ち溢れ、幕府の威光も陰りが見え始めていたときでした。
様々な心労が重なったせいか、1858年病没してしまう。
戸田氏栄 享年60歳であったといわれている。
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1847年(弘化4年)2月から浦賀奉行に着任し、従五位下伊豆守に叙任した。
当然ながら1853年(嘉永6年)ペリー来航の時、事態の重大性を見抜いて幕府に早船を送って注進しているのは戸田である。

幕府は氏栄と井戸弘道を幕府代表として久里浜でペリーとの会談をもたせる。
戸田・井戸らは鎖国している中のことではあるが、黒船を率いて強気に返答を求めるアメリカ側の姿勢を見て、やむなくフィルモア大統領の親書を受け取った。
この時、氏栄は本家の大垣藩に藩兵を送る様に要請、これに基づき大垣藩家老・小原鉄心から送られた130名の大垣藩兵を率いてペリーと接見したという。
威風堂々としたペリー艦隊をみた小原鉄心は日本の軍備の遅れを痛感したといいます。
その経験は大垣藩の軍事改革へと繋がっていきました。
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ともかく浦賀奉行なのだから仕方ない。
アメリカ側の記録では、日本側の代表者は戸田伊豆守と井戸石見守という者であるということ。
戸田は50才くらいの男で、とても大きい額に智慮を現している風であると記載している。
さらに戸田氏栄の風貌として、端麗なる容貌には愛嬌を含んでいるとあり、戸田、井戸両人とも金銀の糸をもって作られた金襴仕立ての衣服を着ていたという。
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結局このことが評価されたのか戸田氏栄は大坂町奉行に栄達するのだが、折りしも幕末。
京・大坂には志士が満ち溢れ、幕府の威光も陰りが見え始めていたときでした。
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戸田氏栄 享年60歳であったといわれている。


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