2008年03月27日

伊藤俊輔 偉大なる桂小五郎の復帰

長崎にて潜伏していた伊藤俊輔でしたが、同じく長崎にて逃亡していた高杉晋作がこのまま朽ち果てるよりは俗論派と戦って死んだほうがいい、と決意し兵を揚げます。
伊藤俊輔も高杉に賛同し、力士隊を率いて決起し高杉らが挙兵して守旧派政権を倒し、2月初旬には正義派政権が誕生したのです。

ちょうどその頃、広戸甚助なる者が伊藤と村田蔵六を訪ねてきます。
広戸は出石で潜伏している桂からの手紙を携えてやってきたのです。新政権が誕生し、意気揚々としていたときだけにこの知らせは何よりの励みになったのでしょう。
桂の居場所が分かったので長州の現状などを説き早急に戻ってきてくれるように催促するのです。

それと同時に高杉、伊藤、井上は馬関の開港論者として、清末、長府両支藩の藩士らの怒りを買い、つけ狙われおり、三人は身の危険を感じ高杉は大阪へ奔り、井上は豊後別府に遁れ、伊藤は対馬に逃れる途中で長府の刺客に狙われ、茶店の娘お梅に助けられながら馬関の町内を転々としていました。

1865年(慶応元年)禁門の変後、行方不明になっていた桂小五郎は長州に戻ってきました。
戻っては見たもののそこには高杉達の姿がありません。
桂は急ぎ藩の体制を整え、同志たちを呼び戻します。
伊藤は紅屋の土蔵に隠れ潜んでいたときに、桂の潜伏先から馬関に帰ってきたという吉報を知り、翌朝、さっそく桂に会いにいきました。

「小五郎の帰国は長州藩にとって、大旱に雲霓を望むがごとき有様だった」と伊藤俊輔は当時のことを振り返っているくらい長州は八方塞の状態だったのです。

桂を迎えた長州は改進します。
伊藤はまず長崎へ赴きグラバーから商船一隻、砲艦二隻を買付け、その船で下関に帰還。
第2次長州征伐を前にしていたこともあり、長州は武器を欲しがっていました。
そこに坂本龍馬、中岡慎太郎らが薩長同盟の話を持ってきます。
1藩だけの倒幕は成し得ないとしていた桂は苦渋の決断で同盟に応じます。

長州は薩摩から武器を貰い、長州からは兵糧を薩摩に送るという形で話はまとまり、伊藤は井上聞多と武器を受け取りに再び長崎に向かうのです。
長崎にて薩摩の小松帯刀らから援助を貰い薩摩汽船「胡蝶丸」でミニエー銃四千丁、ゲーベル銃三千丁を三田尻に届けるのでした。

その後も伊藤は長崎、下関を行き来し、武器調達や戦艦調達に奔走していく。

薩長同盟後は薩摩藩士たちとも行動を共にし、村田新八と上海に汽船二隻購入の契約しに行ったりなどしている。
実際の倒幕の最前線には赴いたのかどうかは分からないが、後方支援の物資調達などに尽力をしている。
常に桂、高杉といった大物の傍らにおり、その姿を見ながら色々学んでいったのだろう。


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