2008年03月19日
薩摩の清風 小松帯刀
小松清廉1835年(天保6年)薩摩国下原良村にて喜入領主・肝付兼善の三男として生まれる。
通称は尚五郎、肝付尚五郎である。
幼少より儒学を学ぶなど学問を好み、昼夜を問わず勉学に励む日々であった。
尚五郎は篤姫や篤姫の兄・島津忠敬らとともに小松清猷に学びます。

そんな彼の利発さは衆目の認めるところだったようで、21歳のとき島津斉彬の目にとまり、江戸勤務を命ぜられ、奥小姓として島津斉彬近くに仕え、影響を受けるようになりました。
尚五郎が江戸に赴く前に1853年にペリーが浦賀に来航する。
薩摩藩は篤姫を江戸に送るのもこの頃である。
そして1854年島津斉彬とともに江戸に向かう尚五郎にペリーが再び浦賀に現れたことが知らされる。
江戸勤務中は様々なことを吸収していったものとみられる。
尚五郎が22歳のとき小松清猷が海防出張中に琉球で客死してしまう。
小松家は薩摩藩の名家だったこともあり、島津斉彬は尚五郎に小松家を告ぐことを命ずるのです。
こうして小松清猷の妹の千賀の婿となって養子入りし、小松家の家督を継ぎました。
そして、24歳のとき、尚五郎を改め小松帯刀と改名しますが、この年、島津斉彬が急死してしまいます。
1861年(文久元年)島津斉彬の跡を継いだ島津久光はいち早く小松帯刀の才能を見出します。
その側近となり、大久保利通と共に薩摩藩の藩政改革に取り組んだ。
1862年(文久2年)には島津久光とともに上洛に随行し、その帰国後は家老職に就任。
その活動は主に京都におけるもので、朝廷や幕府、諸藩との連絡・交渉役を務めることとなる。
坂本龍馬とはかなり昵懇だったようで、龍馬の亀山社中設立を援助したり、龍馬がお龍を妻として娶った際の世話役を務めている。
龍馬が薩摩や大坂、京都に来た際には小松の屋敷に寄宿したりするほどである。
薩長同盟における密約やその際に長州藩代表の桂小五郎が滞在したのも、京都における小松の屋敷であった。
1867年(慶応3年)薩摩藩と土佐藩との盟約である薩土同盟など、諸藩との交渉において大きな功績を立てている。
徳川慶喜が諸大名を集め、京都・二条城で大政奉還を発表した時は小松が薩摩藩の代表として参上した。
坂本龍馬の新政府の人事構想では、西郷、大久保、桂を抑えて、筆頭に挙げており、当時の人々の小松の力量が窺われる。
明治維新後は新政府において参与や外国官副知事を務めるが、1870年(明治3年)に36歳の若さで病死してしまう。
寛容で雄弁、明快な人柄で人望が厚く大久保や西郷隆盛らからも将来を期待されていたが、そのあまりにも早すぎる死は多くの人に惜しまれ、もし生きていたならば初代総理大臣になっていたかもしれない人物であった。
下級武士に過ぎなかった西郷や大久保、一介の浪人であった龍馬が幕末期に活躍できたのも薩摩藩家老であった小松帯刀による庇護が大きい。
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通称は尚五郎、肝付尚五郎である。
幼少より儒学を学ぶなど学問を好み、昼夜を問わず勉学に励む日々であった。
尚五郎は篤姫や篤姫の兄・島津忠敬らとともに小松清猷に学びます。

そんな彼の利発さは衆目の認めるところだったようで、21歳のとき島津斉彬の目にとまり、江戸勤務を命ぜられ、奥小姓として島津斉彬近くに仕え、影響を受けるようになりました。
尚五郎が江戸に赴く前に1853年にペリーが浦賀に来航する。
薩摩藩は篤姫を江戸に送るのもこの頃である。
そして1854年島津斉彬とともに江戸に向かう尚五郎にペリーが再び浦賀に現れたことが知らされる。
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1861年(文久元年)島津斉彬の跡を継いだ島津久光はいち早く小松帯刀の才能を見出します。
その側近となり、大久保利通と共に薩摩藩の藩政改革に取り組んだ。
1862年(文久2年)には島津久光とともに上洛に随行し、その帰国後は家老職に就任。
その活動は主に京都におけるもので、朝廷や幕府、諸藩との連絡・交渉役を務めることとなる。
坂本龍馬とはかなり昵懇だったようで、龍馬の亀山社中設立を援助したり、龍馬がお龍を妻として娶った際の世話役を務めている。
龍馬が薩摩や大坂、京都に来た際には小松の屋敷に寄宿したりするほどである。
薩長同盟における密約やその際に長州藩代表の桂小五郎が滞在したのも、京都における小松の屋敷であった。
1867年(慶応3年)薩摩藩と土佐藩との盟約である薩土同盟など、諸藩との交渉において大きな功績を立てている。
徳川慶喜が諸大名を集め、京都・二条城で大政奉還を発表した時は小松が薩摩藩の代表として参上した。
坂本龍馬の新政府の人事構想では、西郷、大久保、桂を抑えて、筆頭に挙げており、当時の人々の小松の力量が窺われる。
明治維新後は新政府において参与や外国官副知事を務めるが、1870年(明治3年)に36歳の若さで病死してしまう。
寛容で雄弁、明快な人柄で人望が厚く大久保や西郷隆盛らからも将来を期待されていたが、そのあまりにも早すぎる死は多くの人に惜しまれ、もし生きていたならば初代総理大臣になっていたかもしれない人物であった。
下級武士に過ぎなかった西郷や大久保、一介の浪人であった龍馬が幕末期に活躍できたのも薩摩藩家老であった小松帯刀による庇護が大きい。


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