2008年02月23日

近江屋襲撃 中岡慎太郎逝く

中岡慎太郎陸援隊を組織する一方、大政奉還に向かう龍馬と幾度も話をしていたのだろう。

この頃、討幕と大攘夷を説いた時勢論を著す。

中岡慎太郎岩倉具視三条実美と提携させ組織的にも倒幕へ向けてすすめていく。

しかし、龍馬も中岡もこのころには京都ではかなり目を付けられる存在になっており、元新撰組の伊東甲子太郎が「新撰組が狙っているから気を付けろ」と忠告をしに来ている。
見廻り組、新撰組、紀州藩士、京都は龍馬、中岡にとっては最も危険な場所になっていた。
そんな中、あの悲劇は起きる。

1867年11月15日、中岡は、新撰組につかまっている土佐の同士が釈放され、その身柄の引き取りについて京都河原町に下宿している谷守部を訪れに行きました。しかし、谷が不在だったため、近くの龍馬を訪れたとのです。

倒幕まであと僅かに迫ったいたことと、龍馬の無血で政権を変える方針など、両者は若干の方向性が違っていたこともあり、話は盛り上がっていた。

そのうちお腹が空いたので、岡本健三郎に「軍鶏」を買いにいかせる。
これと入れ替わるように、「十津川郷士」を名乗る人間が龍馬を訪れる。
当時十津川郷士は陸援隊にも関与しており、龍馬とも懇意だったため、籐吉は信用してこの者を中に入れてしまうのだ。

2階へ案内しようとする籐吉を背後から斬りつけ、2階の龍馬の部屋へと流れ込む侵入者。

3人の資格が龍馬・慎太郎に襲い掛かる。
両名共に刀を抜くまもなく斬りつけられるのだ。

龍馬は額を斬られほぼ即死状態、慎太郎も後頭部をやられ重症だった。

瀕死の龍馬は中岡に声をかける
「石川大丈夫か?わしはダメじゃ、額をやられちょる・・・・」と。

事態を聞き駆けつける陸援隊士・田中顕助、慎太郎を連れ出し看病するが、2日後に中岡慎太郎はこの世を去る。享年29歳 まだまだすべきことを残して先に逝ってしまった。

慎太郎が死ぬ間際、同士に「岩倉卿に伝えてください。王政復古のことは貴下の力による!」と訴え、最後の最後まで今後の日本のことを憂いていた。

慎太郎の絶命をきいた岩倉具視は「自分は片腕をもがれた」と声を上げて泣いたと言われています。

今日賎しいものが、明日には貴いかもしれない。小人か君子かは、人の心の中にある」という言葉を残している。
これは当に中岡慎太郎自身の心であろう。

北川村にて村人のために奔走した日々から初まり、常に心の中に義を持ち続けた人だった。

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