2008年02月16日
坂本龍馬 先に行くぜよ
坂本龍馬はその日京都にいた。
いつものように一日が終わろうとしていた。
1867年(慶応2年)11月15日 京都河原町にある醤油商・近江屋。
坂本龍馬はそれまで材木商・酢屋の二階を借り、海援隊・京都事務所を置いて拠点としていたが、先の寺田屋での襲撃の件もあり、場所を移していた。
目と鼻の先には土佐藩邸があるところである。
その近江屋の裏庭の土蔵に密室を造り、万一に備えて裏手の誓願寺へ逃れる道も用意してあった。
であるが、日頃から人目を気にしない龍馬。昼間もウロウロしていたのだろう。
見廻り組に容易に発見される。
おりしも14日風邪にて体調を崩していた龍馬は土蔵の隠れ家から母屋の2階に移っていた。
夕方、中岡慎太郎が訪ねてくる。
二人が話し合いをしていると、十津川郷士と名乗る覆面の武土が元相僕取りの下僕藤吉に取りつぎを頼み、藤吉は十津川郷士は龍馬と関わりが多い事から安心したのか2階に案内する。
2階に上がる途中に藤吉は不意討ちを食らう形で斬られる。
そのまま乱入者は2階の龍馬と慎太郎のいる部屋へ押し入り、1人が中岡の後頭部を、1人は龍馬の前頭部を斬りつけた。
北辰一刀流の龍馬が鞘さえも抜く間もなかった。
中岡は後ろを見せていたので当然無理だとしても、正面にいた龍馬が居抜けなかったのだ。
頭部に二創を受けた龍馬は絶命、中岡は翌々日の17日に亡くなる。
龍馬は死ぬ間際まで慎太郎に向かい
「石川大丈夫か?わしゃいかんゼヨ、脳をやられちょる」と慎太郎を偽名で呼んでいた。
こうして時代の変革の原動力となった坂本龍馬は大政奉還を見る事無く先に逝ってしまう。
享年33歳。
生きていれば日本はどうなったのであろうか。
龍馬暗殺の件については、諸説がありマチマチである。
いまここで敢えて言うことはしないが、時代を見誤った者たちの仕業であることは間違いない。
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いつものように一日が終わろうとしていた。
1867年(慶応2年)11月15日 京都河原町にある醤油商・近江屋。
坂本龍馬はそれまで材木商・酢屋の二階を借り、海援隊・京都事務所を置いて拠点としていたが、先の寺田屋での襲撃の件もあり、場所を移していた。
目と鼻の先には土佐藩邸があるところである。
その近江屋の裏庭の土蔵に密室を造り、万一に備えて裏手の誓願寺へ逃れる道も用意してあった。
であるが、日頃から人目を気にしない龍馬。昼間もウロウロしていたのだろう。
見廻り組に容易に発見される。
おりしも14日風邪にて体調を崩していた龍馬は土蔵の隠れ家から母屋の2階に移っていた。
夕方、中岡慎太郎が訪ねてくる。
二人が話し合いをしていると、十津川郷士と名乗る覆面の武土が元相僕取りの下僕藤吉に取りつぎを頼み、藤吉は十津川郷士は龍馬と関わりが多い事から安心したのか2階に案内する。
2階に上がる途中に藤吉は不意討ちを食らう形で斬られる。
そのまま乱入者は2階の龍馬と慎太郎のいる部屋へ押し入り、1人が中岡の後頭部を、1人は龍馬の前頭部を斬りつけた。
北辰一刀流の龍馬が鞘さえも抜く間もなかった。
中岡は後ろを見せていたので当然無理だとしても、正面にいた龍馬が居抜けなかったのだ。
頭部に二創を受けた龍馬は絶命、中岡は翌々日の17日に亡くなる。
龍馬は死ぬ間際まで慎太郎に向かい
「石川大丈夫か?わしゃいかんゼヨ、脳をやられちょる」と慎太郎を偽名で呼んでいた。
こうして時代の変革の原動力となった坂本龍馬は大政奉還を見る事無く先に逝ってしまう。
享年33歳。
生きていれば日本はどうなったのであろうか。
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