2008年02月14日

坂本龍馬 薩長同盟に向け奔る

勝海舟の蟄居、神戸海軍塾の閉鎖等により行き場を失った坂本龍馬
土佐藩からの召喚命令に従わず再脱藩してしまう。

ますます行くところがない龍馬達は勝海舟のはからいで薩摩藩の庇護下、大坂の薩摩藩邸で過ごすことになる。

翌1865年、西郷隆盛のはからいで京都の薩摩藩邸に移る。
指名手配になっていた龍馬は表にも出ることが出来ず無二な日々を過ごしていた。

そこに中岡慎太郎が訪ねてくる。中岡から龍馬に面白い相談事が持ちかけられた。
それは薩長同盟である。

当時犬猿の仲であった薩摩と長州を手を結ばせ、倒幕の偉大勢力と為すことを目論むのだ。
新たな目標が出来た坂本龍馬中岡慎太郎たちと共に薩長和解にむけて奔走しはじめる。
物事を決めると行動に移すのが早い龍馬。

同時進行で龍馬は薩摩藩の家老小松帯刀が政治的に援助し、長崎の豪商小曾根家援助のもとにより、土佐脱藩の仲間と共に長崎に亀山社中を組織し、物産・武器の貿易を行ったいく。

薩摩も龍馬達海軍塾生の知識と経験を教えてもらい海軍のレベルアップに努めていく。

龍馬は国事と経済の両方を両立しながら薩長同盟締結に向け進む。
西郷隆盛が京都へ上京する際、下関へ立ち寄り、長州の木戸孝允と会談する手はずを
整えるのだが、西郷がこれをすっぽかしたため失敗に終わる。

長州は幕府の第1次長州征伐を受けており、武器弾薬が不足していた、一方薩摩は兵糧米の調達に苦心し困り果てていた。

そこに目をつけた龍馬は、外国から武器を薩摩名義で買い入れ、密かに長州に売りさばき、その見返りに兵糧米を長州から薩摩に届けるというもので、その間を龍馬が率いる亀山社中が取り持つという方法だった。
薩摩藩の小松帯刀は、すでに龍馬のこの申し出を承認しており、西郷も快く承諾、長州の桂小五郎も承諾する。

長州から伊藤俊輔井上聞多が長崎に入り、武器を調達。
今度は薩摩から黒田清隆が長州に入り米を受け取った。

このとき龍馬は黒田清隆に「王政復古の大目的を達せんには、薩長の間
を和解し、二藩連合して天下に率先せざるべからず」と説き、そこから少しつづ動き始める。

下関にて黒田は高杉、桂と会談し、以前から長州1藩だけでは倒幕は出来んと考えていた高杉晋作の後押しもあり、桂は京都にて会談することを承知する。

先にも書いたが長州は一度薩摩からスッポカシを食らっている。
そのこともあり説得は難航したようだった。
中岡、龍馬の努力の甲斐もありようやく京都での会談にこぎつけた。

しかし、会談は時勢の話などに終始し、肝心の同盟の話に至ってはいなかった。
1週間遅れで京都に入った龍馬は当然もう同盟が成していると思い薩摩藩邸にいくと、まだ同盟を結んでいない旨を聞かされる。

驚いた龍馬は長州藩邸の桂を訪ねた。
「天下のために連合を周旋し、両藩の要人を会わせたのにくだらない感情におぼれて意地を張り合うとは何事じゃ!」といい。
桂は
「今、苦境にあえぐ長州が薩摩に低頭してまで危険に引きずり込むことができましょうや。薩摩が自ら手をさしのべてくれてこそ、我らは救いを乞いもしよう。このまま長州は滅びてもよいのです。薩摩が生き残って幕府を討ってくれるなら、我々に憾みはないでありましょう」と説いた。

ようするに長州は薩摩の気持ちはありがたいが、滅びんとしている長州の巻き添えになってくれとは言えないというのだ。

龍馬はこの桂の言葉に感動し、薩摩藩邸に戻り、西郷、小松らに長州の胸のうちを語り、何とか薩摩から長州を助けてやってくれんかと説いた。

ことのことにより、西郷は是非薩摩から長州に同盟をお願いしたいといい。
翌1月21日、ついに薩摩藩邸において薩長同盟が結ばれるのである。

坂本龍馬 至福のひと時であった。

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