2008年02月03日

勝海舟 日本海軍の祖

蘭学を学び、多くの人と出逢い学んだ勝海舟

1855年(安政2年)海軍伝習のため長崎へ赴くことになり、4年後には軍艦操練所教授方頭取となりました。
この時に薩摩藩主・島津斉彬と知り合い、後の海舟の人生に大きな影響を与えることとなるのだ。
アメリカと通商条約が結ばれると、幕府はアメリカに使節を送ることになる。
1860年(安政6年)その使節団の船、咸臨丸の艦長として勝は、アメリカの地を踏むことになるのだ。このときジョン万次郎福沢諭吉らの名前もあった。
だが勝海舟は船酔いがひどく、咸臨丸を操舵していたのはアメリカ人ブルック大尉だったらしい。

1862年(文久2年)、軍艦操練所頭取を経て軍艦奉行に就任。
勝は神戸に海軍塾を作り、薩摩や土佐の荒くれものが出入りしたが、勝は官僚らしくない闊達さで彼らを受け容れた。
1864年(元治元年)勝は、神戸港を日本の中枢港湾にすべしと、大阪湾巡回を案内しつつ14代将軍徳川家茂に提案している。そしてここ神戸に神戸海軍操練所を設立するのだ。

そしてここ神戸海軍操練所において勝は土佐脱藩の坂本龍馬を塾頭とするのである。


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