2008年01月22日

西郷隆盛 勝海舟との会談

鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破った東征軍は西郷隆盛を総大将に、勢いに乗り関東を目指し進軍していた。

これに対し部下を見捨てて江戸に逃げ帰り、新政府軍との徹底抗戦を主張する小栗上野介たちの意見を退け、さっさと蟄居してしまった徳川慶喜
徳川慶喜の蟄居により幕府の後事を任された勝海舟

勝の心は「チッ、最後に面倒なことだけ押し付けやがって・・・ 」ってな気持ちだったのでしょうか?

神戸海軍操練所に倒幕の者がいたことにより勝はしばらく蟄居させられていたのである。

そこに来て今度はやばくなってきたから、「お前なんとかしろ」状態で任されている。
勝に抵抗していたといわれる小栗上野介もこの頃には居なく、幕政は完全に瓦解していたときである。

そんな勝は東征してくる新政府軍に使者を送ることから始まった。

幕府倒壊となったいま、いかに血を流さすに時代を変え、列国の属国になることを避けるのかが大事であった。

勝の使者、山岡鉄太郎は駿府において「東征大総督府下参謀」となっていた西郷隆盛に会う。

そして江戸に入って来た西郷は薩摩藩邸において勝海舟と会談するのである。

1864年(元治元年)以来の再会である。

また翌日も会談は続き、話し合いの末
西郷は「委細承知知致した。しかしながら、これは拙者の一存にも計らひ難いから、今より総督府へ出掛けて相談した上で、なにぶんの御返答を致さう。が、それまでのところ、ともかくも明日の進撃だけは、中止させておきませう」と言い、これによって江戸は戦火から免れることになったのです。

これには天璋院篤姫皇女和宮も徳川家の助命嘆願をしていることも若干影響はしているのだろう。

当時の巨大都市江戸。
この江戸を焼け野原にしてしまっては新政府が樹立したときに、列国に立ち向かうだけの経済力を養うことは出来ず、ましてや無駄に多くの血を流してしまっては、まさに列国の思う壺であるという勝と西郷の利害関係は一致し、日本におけるこの難局を乗越えることが出来たのだ。


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