2008年10月04日

吉田松陰について

幕末動乱期、明治維新を打ち立てることになる多数の門下生を輩出したことで有名な「松下村塾」その「松下村塾」の師範 吉田松陰とはどんな人だったんでしょう。

吉田松陰は1830年(天保元年)8月4日、長州藩の下級武士・杉百合之助の二男として生まれる。

松陰には叔父が二人居り、その二人の叔父が松陰の将来を大きく変えていくことになるのです。

その二人の叔父とは、一人は吉田大助、もう一人は玉木文之進だった。
吉田大助の吉田家は、長州藩の兵学師範(山鹿流兵学)の家柄であり、松陰はその吉田家の養子に入るのです。

そして玉木文之進は松下村塾の創設者であり、山鹿流兵学の免許皆伝者でもあった。

松陰が養子に入ってまもなく吉田大助が急死してしまう。
松陰6歳のことだ。養子に入っているので松陰は若干6歳にして、吉田家を継ぎ、藩校明倫館の兵学師範になるのである。

わずか6歳で兵学の師範なんてすごいですよね。6歳では何も出来ない松陰のためにもう一人の叔父、玉木文之進が松陰の兵学教育にあたることになる。
この玉木文之進の教育がなければひょっとすると後世の吉田松陰はなかったかもしれない。

玉木文之進の薫陶を受けながら、松陰は成長していく。
吉田松陰が11歳のとき、藩主毛利敬親の前で講義する機会が訪れる。
松陰は山鹿流『武教全書』戦法篇を朗々と講じ、その講義は藩主をはじめ居並ぶ重臣たちも目を見張るほどのものであったらしい。
それ以降「松本村に天才あり」と松陰の名は萩城下に知れ渡ることになるのだ。
吉田家へ養子に来て5年が経過したときだった。

その後も玉木の厳しい教育があり、玉木から武士としての心得や、尊王の精神を叩き込まれていく。
吉田松陰が21歳の時、藩に九州遊学の希望を申し出、九州へ遊学のたびに出るのだが、このときに葉山佐内宮部鼎蔵など様々な人物に会い見識を深めていく。

その中でも宮部鼎蔵とは馬が合ったようで、宮部との交遊を深めていく。

1851年(嘉永4年)参勤交代に同行して江戸に遊学することになる。
江戸において数多の志士達が互いの見聞や学識を高めるために切磋琢磨している姿は松陰にとっても刺激的だったことだろう。

松陰は江戸で佐久間象山に出会うことになる。
そして九州遊学の歳交遊を深めた宮部鼎蔵らと共に東北の勉学の旅を計画するが、藩からの許可が出ないため松陰は、脱藩することとなる。当時の脱藩は重罪である。

江戸に戻った後、脱藩の罪で萩に送還されるが、才を惜しんだ藩主 毛利敬親から10年間の国内遊学の許可が出て再び江戸へ舞い戻る。
そして佐久間象山の師事することにするのだ。

そしてあの事件が起こったのである。

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