2009年12月13日

長州藩校「明倫館」新築時の姿 絵図発見

桂小五郎高杉晋作久坂玄瑞など幕末に命をかけた長州藩志士を育てた長州藩藩校「明倫館」の絵図が見つかった。


この絵図は藩校が新築された直後の1849年(嘉永2年)ごろに描かれたとみられる。
萩市内で見つかったのだが、萩博物館は「明治維新の原動力となった人材育成へ、藩の気概が伝わる貴重な資料」としている。

絵図は縦1・7メートル、横1・9メートルで、二曲一隻のびょうぶ仕立て。
市内の個人住宅の整理中に見つかり、所有者が11月上旬、同博物館に寄贈した。
すごいよね。ボクだったら寄贈なんて出来ないよ。。。

当時は、明倫館が萩城三の丸から城下町のほぼ中央に移り、西日本一の規模を誇る藩校に建て替えられた直後で、その状況が見て取れる。
絵図の中央には「明倫館」の文字がはっきりと記され、大きな敷地に築かれた様子も分かる。

武家屋敷や社寺、農地などをそれぞれ色分けして詳しく示す一方、城の本丸や二の丸付近は雲で隠されていた。
博物館では「町人が描かせたため、城についてはおそれ多くて詳しく載せなかったのかもしれない」と推測する。

現在でも江戸時代の古地図を見て散策できるほど、当時の町割りがよく残っている萩城下町。
来年1月28日まで同博物館で公開されている。

明倫館は 長州藩の5代藩主・毛利吉元が1719年(享保4年)に家臣の子弟教育のため萩城三の丸に創建した。
「孟子」の「皆人倫を明らかにする所以なり」から藩校名を命名し、13代藩主・毛利敬親が、老朽化と人材育成を理由に1849年(嘉永2年)城下町のほぼ中央に移転新築したのだ。

敷地が約5万平方メートルに拡張され、剣術場や水練池なども備えた西日本一の規模を誇る藩校となった。
現在は、跡地に萩市立明倫小学校が建っている。
西日本最大と言うところからも当時の長州藩の力の強さがわかる。

人材確保に努め、多くの人物を排出した長州藩の強さはこんなところからきているのである。

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Posted by 左近将監 at 10:33Comments(0)TrackBack(0)長州藩

2009年12月01日

坂本龍馬 何の志もなきところ

[坂本龍馬] ブログ村キーワード
坂本龍馬 さり気ない一言

『何の志もなきところ』


一脱藩浪士の坂本龍馬を動かしたのはなんだったのだろうか。
身分ある藩士達が右往左往しても世の中が変わらなかったが、龍馬や中岡慎太郎など土佐藩の脱藩浪士たちが決起し、行動する事で維新の原動力は動き始めた。

幕末時、多くの人達が立ち上がり志半ばで倒れていった。
中には志を途中で折られてしまう人もいただろう。
でも、そういった人達はいいのだ。なぜならば自分の信念に基づき行動をしたのだから。

龍馬は江戸での剣術修行や、土佐勤王党での活動を通して自分が何をしたいのか分からなくなっていた。
悶々とした生活を送る龍馬に脱藩した仲間達の話が聞こえてくる。

吉村寅太郎中岡慎太郎たちである。
自分の志に基づき、世の中を変えるために活動をし始めていた。
龍馬は決意する。
土佐を出て広い日本で自分をデカクするのだと。

この時龍馬のが決意しなければ今の日本はなかったのかもしれない。
龍馬は後年、姉 乙女に手紙でこんなことを書いている。
「じつにおくにのよふな所にて、何の志ざしもなき所にぐずぐずして日を送は、実に大馬鹿ものなり」と。

お家の奥のようなところで、志もなく、ぐずぐずしているような者は大馬鹿者であると、昔の自分をなじったのである。

脱藩後の龍馬は東奔西走の日々を送ることになる。

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2009年11月29日

龍馬の刀?発見

坂本龍馬が使っていたとされる刀と、その脱藩を土佐藩がゆるした際の赦免申渡書の写しが見つかった。

坂本龍馬が腰に帯びた可能性が高い刀と、龍馬赦免の史実を裏付ける資料で、いずれも龍馬の親しい友人だった甲藤馬太郎の子孫に伝わる品だという。

刀は刀鍛冶・左行秀の業物で、刃渡り2尺6寸9分(約80センチ)。
柄に納まる部分には龍馬の兄・坂本権平が、1848年(嘉永元年)に造らせた、と銘が刻まれている。


異説はあるが、馬太郎の甲冑と龍馬の刀を交換したとの言い伝えがあることから、龍馬自身が持っていた可能性が高いという。
赦免書は、1862年3月の龍馬の脱藩が、勝海舟山内容堂との会談でゆるされることになり、63年2月25日付けで出された。原本は現存しないが、文面は今に伝えられている。


今回、確認されたのはその写しとみられ、縦16・5センチ、横38センチ。
文中の6か所に、7文字も書き損じを直した場所があることから、京都にいた甲藤家の人物か、龍馬と甲藤家双方に親しい人物が、甲藤家に知らせるために書いたのではと分析されている。

今回甲藤家の子孫の方が「家で眠らせておくよりも、何かに役立てて頂ければと思い、預けることにした」として高知県立坂本龍馬記念館に寄託いたのだという。

書状は開催中の企画展「風になった龍馬」で近く展示し、刀も来年1月12日から始まる「龍馬のルーツ」展で公開される。

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2009年10月08日

西郷隆盛 総て人は人を相手にする

 「唯国難に斃るるのみ」。
身を捨てて国に尽くすことが所信だったはずの西郷隆盛

しかしその西郷隆盛は「政府へ尋問の筋これあり」として挙兵し、最大の国難を引き起こした。
これが西南戦争である。

西郷隆盛は基本的にはものの見える人物であり、愚な行動は起こさない人である。
そんな西郷が大義名分が無い士族の憤懣を背負った挙兵になぜ立ち上がったのだろうか。

事実萩や熊本で起きた過去の士族の反乱を聞き、「好機会」と呼応しようとする門人を西郷は「何の意ぞ」と厳しくはねつけているのだ。

そこには維新を通して時代の変換を見てきた西郷なりの時代の屈折を感じていたのかもしれない。

西郷の言葉に「総て人は人を相手にする為、過も改め兼ぬるなり。天を相手にすべし」という言葉がある。

どんなことでも人が行うことは人を相手にしたことばかりである。
だから天を相手にするべきだというのだ。

天とは???

人のその先、自然なのか?神なのか?
人は所詮人なのである。
人の為に尽くしたことをすれば自ずと良い結果になるのだろう。

現代にも西郷隆盛のような政治家がいれば世の中も変わるだろうに・・・


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2009年10月07日

意外と似合うぞ 福山の坂本龍馬

来年の大河ドラマ「龍馬伝」

その撮影現場が披露されたようだ。今回のテーマは、「新しい龍馬像」。

司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」がベストセラーとなり、日本で最も尊敬され、人気のある偉人である坂本龍馬。

この坂本龍馬を描く今回の『龍馬伝』は「40年前に司馬さんが作り出した龍馬とは違う視点を目指したい」ということだそうだ。

「龍馬伝」坂本龍馬は、「ナイーブさ」「優しさ」「ナチュラルさ」を強調している点で、「そうした新しい龍馬を自然に表現してくれる人」として、福山雅治に白羽の矢が立った。
全国コンサートの合間をぬって、打ち合わせや殺陣の稽古を重ねた。

福山も「主演が決まってから、他の人に『おめでとう』と言われるんです。他のドラマの主演もさせていただいたが、そんなことは言われなかった」と話しており、龍馬の人気ぶりと尊敬度がわかる。

ドラマのポイントは、土佐という「南国」を強く意識していることだそうだ。

方言はもちろん、衣装でも服の折り目をわざとくたっとさせて、体のラインに密着させ、風ではためかせて、柔らかで自然な感じを出している。
メークでは、まげの長短や太さ、そり方など当時の流行を強調、平井加尾を演じる広末涼子も、日焼けした健康的な土佐美人になっている。

広島県福山市の「みろくの里セット村」に土佐の町を再現したオープンセットは約60トンの資材を持ち込み、1カ月かけて完成されたもの。

一方で、演出面でも「史実一辺倒」でなく、エンターテインメント性も考慮するという。

坂本龍馬といえば、北辰一刀流免許皆伝の剣の達人だが、生涯その剣で人を切ることはなかったとも伝えられている。
だが、担当プロデューサーは「龍馬の剣が見たいという人は多いはず。子供でも楽しめるヒーローものにしたい」といい、「西部劇を意識した」という龍馬の立ち回りシーンが多数登場するそうだ。

ボクは個人的には史実に基づかないドラマ嫌いで、納得がいかない。
今回の『天地人』もそれはないやろ!!!部分が多くちょっと納得していないがドラマだから仕方が無い。
というより史実自信が正確か判らないのだからやむを得ないだろうね。

『龍馬伝』は4部構成で、第1部は、坂本龍馬が江戸に剣の修行へ出て脱藩するまで、第2部では幕臣・勝海舟に師事し、神戸海軍操練所で学ぶが、政変によって幕府に弾圧されて操練所が閉鎖に追い込まれるまでの物語。
第3部で薩長同盟が成立、第4部では海援隊の結成と龍馬の死が描かれる。
福山雅治が演じる龍馬はどんな龍馬になるのか放送が楽しみだ。

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2009年10月06日

「坂本龍馬の仲間とめぐる京都散歩」

秋の気配も深まりつつ、段々と紅葉の気節が近づいてきましたね。
紅葉といえばやはり京都。

秋の京都はブラブラと散策したくなる気分にさせてくれる。
そんな京都で「坂本龍馬の仲間とめぐる京都散歩」なるものが出来たそうだ。
これは京都商工会議所が設立した「京町家はんなり会」が2010年版の「京町家はんなりマップ」として作成したものだ。

「京町家はんなり会」は、京都の伝統的家屋である町屋を活用した地域振興策を検討するために設立され、京町家を利用した飲食店、物販店を写真付きで掲載するほか、毎年さまざまなテーマでマップを作成している会だそうで、今回は来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ「坂本龍馬の仲間とめぐる京都散歩」と題した散策マップを製作した。

散策マップは4つのコースに分かれており、「桂小五郎と行く木屋町・先斗町めぐり」「中岡慎太郎と行く東山めぐり」「西郷隆盛と歩く洛中めぐり」「お龍と歩く伏見めぐり」の京都通のコースを紹介している。

A2判両面カラー印刷の折りたたみ式で5万部作成されたそうで、10月10日から始まる「京都知恵と力の博覧会」に協賛して行うスタンプラリーの用紙も添付されているといことだ。

紅葉にはまだ早いが秋の京都を堪能できるマップなんでしょうね。


詳しくは「坂本龍馬の仲間とめぐる京都散歩」を参考にしてください。

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2009年09月28日

広沢真臣 暗殺に沈む

広沢真臣は柏村安利の四男として誕生する。

1844年(弘化元年)に波多野直忠の婿養子となって波多野金吾と称するようになる。
藩校の明倫館に学び、1853年(嘉永4年)のペリー来航時には大森台場警衛のために出張していたのだ。

1859年(安政6年)には藩の軍政改革に参画するなど、尊攘派として活躍しはじめる。
以後、藩世子毛利定広と共に入洛し、桂小五郎久坂玄瑞の下、京都詰の事務方として尽力した。

しかし1864年(元治元年)の禁門の変馬関戦争、第一征長と長州藩は窮地に追いやられると、藩内の政権闘争で正義派が俗論派に敗れ、その余波を受けて広沢真臣も野山獄に投獄されてしまう。
だが、広沢は正義派でなかったため処刑は免れることができたのだ。
長州藩はこれにより幕府恭順派が力を持つ事になる。正義派の主力だった高杉晋作伊藤俊輔らは国外逃亡や身を隠す事で命を永らえている。

翌1865年(慶応元年)前年の藩内の政変により亡命生活を余儀なくされていた高杉晋作伊藤俊輔山県有朋らを供して立ち上がる。
高杉らは俗論派を追い出し長州藩は再び正義派の政権に戻るのだ。
正義派が長州藩の政権を奪還したものの、前年の政変で多くの仲間が既に処刑されており、政事を行う人力に欠けていた。
そこで正義派の面々に代わって正義派に最も近かった中間派の尊王攘夷の広沢真臣が政務役として藩中枢に参加することとなっのである。
この年の藩命によって広沢藤右衛門と改名し、更に翌月の5月には広沢兵助と改名した。

1866年(慶応2年)第2次長州征伐の休戦談判が開かれたとき、井上聞多らとともに藩の委員となり、幕軍の勝海舟と折衝した。
また、坂本龍馬や薩摩藩の五代才助と会談して「商社示談箇条書」を作成するなど、木戸孝允の貴重な代理人かつ同僚として奔走し、1867年(慶応3年)大久保利通らと共に討幕の密勅の降下にも尽力して倒幕活動を推進した。

維新政府の発足後は、参与、海陸軍務掛、大総督府参謀を務め、その後、内国事務掛、京都府御用掛、参議を歴任。
戊辰戦争では、米沢藩の宮島誠一郎と会談して会津藩「帰正」の周旋を建白させるなど、木戸孝允と同様に寛典論者であった。
1869年には復古功臣として木戸孝允大久保利通と同じ永世禄1800石を賜り、民部大輔や参議の要職を務めた。

新政府の中で力を求められていた広沢真臣であったが、1871年(明治4年)1月9日の深夜、東京府麹町富士見町の私邸にを招いた宴会後に刺客の襲撃によって暗殺されてしまう。
享年39歳であった。
横井小楠大村益次郎に続く維新政府要人の暗殺であり、広沢を厚く信頼していた明治天皇は「賊ヲ必獲ニ期セヨ」という犯人逮捕を督促する異例の詔勅が発せられた。

この事件は未解決事件であるため、暗殺の下手人・黒幕に関しては諸説あり、維新政府を快く思わない旧幕府側の不平士族や旧幕府軍の残党によるものする説が一般的である。

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2009年09月18日

西郷隆盛辞世の漢詩?

西南戦争で自刃した西郷隆盛が死を覚悟して詠んだ辞世とみられる漢詩が見つかったそうだ。
官軍側の医師・山崎泰輔の日記「明治十年 西遊日記」に記されており、西郷南洲顕彰館によると、直筆ではないが、本物の可能性が高いということ。

西郷隆盛が城山で自害した1877年9月24日付の日記に記載されている。

肥水豊山路已窮
墓田帰去覇図空
半生功罪両般跡
地底何顔対照公

      西郷隆盛

意味は「肥後や豊後への道は窮まった。故山に帰り骨を埋めよう。維新完遂のため覇を唱えたが、今となってはむなしい。半生を振り返ると功罪両様の跡が残った。死後にどんな顔をして、照国(島津斉彬)公にお会いすることだろうか」というらしい。


内容から西郷が可愛岳で、官軍を突破して薩摩に帰ろうと決心した8月17日に詠んだとみられており、志半ばで人生が終わることを嘆き、故郷に骨をうずめようとする内容で、悔しさや挫折感がにじんでいる。

西郷南州館は大学教授らと検証した結果、〈1〉文章構成が西郷の作品に似ている〈2〉社会的地位の高い山崎が西郷に成り代わって詠むとは考えられない〈3〉結句の「何の顔あって照公に対せん」は斉彬公を師と仰いでいた西郷ならではの表現――などとして、本物と判断した。

西郷隆盛の息子の菊次郎は官軍側の病院で手術を受けており、その時に西郷の漢詩を記した何らかの物が、山崎ら官軍の医師たちに渡ったと推測している。

ただ、「半生の功罪両般の跡」などと自らに厳しく評価を下していることから、「山崎が城山で散った西郷のことを詠んだのではないか」とみる研究者もいる。

日記は以外にも札幌市で見つかった。
山崎の子孫が保管していたためである。
西郷は194編の漢詩を残し、優れた詩人としても知られるが、辞世の詩は確認されていないのだ。

これが本物であれば西郷の死を間際にした心情を伺う貴重なものになるのだろう。

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2009年09月16日

江戸城無血開城の会見場所 公開

1868年(慶応4年)勝海舟西郷隆盛が江戸開城の交渉を行った場所「松涛園」

この松涛園での会見の結果、歴史上類を見ない革命の無血開城が成し遂げられる。
松涛園は江戸前期に活躍した茶人で、桂離宮の建築と造園で知られる造園家、小堀遠州の作庭と伝わる池泉回遊式庭園である。
自然のくぼ地を生かした景観と豊かな緑が特徴で、勝海舟西郷隆盛の会見場となった東屋跡には両雄会見の碑と茶室がある。

普段は立ち入ることはできないが、毎年9月に期間限定で公開されている。

今年は7~13日、一般公開される。

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2009年09月15日

萩往還の起点「唐樋札場」跡

江戸時代に山陰の城下町・萩と瀬戸内の港・三田尻を結んだ国史跡の街道「萩往還」の起点とされる高札場「唐樋札場」の遺構が山口県萩市で見つかった。
長州藩主・毛利家の参勤交代ルートで、吉田松陰高杉晋作ら幕末の志士も駆け抜けた“歴史街道”だ。

萩往還は、萩城と、山陽側の港町・三田尻を結ぶ全長50キロの街道。
江戸初期に毛利氏が参勤交代道として整備したものである。

幕末には、安政の大獄で死罪となる吉田松陰が江戸に送られる際に通ったり、高杉晋作久坂玄瑞ら尊皇倒幕の志士たちが往来した道として知られている。

当然ながら長州藩に何度も来ている、坂本龍馬中岡新太郎なども幾度と無く往来したに違いない。

萩市は今年2月から、同市東田町で行った発掘調査で、建物の基礎となる基壇の化粧石や柱穴などがみつかり、現存する絵図から江戸時代の高札場「唐樋札場」の遺構と分かった。

高札場は、幕府や藩の掟を庶民に知らせるため設けられ、罪人のさらし場にも使われた。

とくに唐樋札場は、萩往還をはじめ、萩と下関を結ぶ「赤間関街道」などの起点にもなり、交通の要衝としてにぎわった。

萩の文化財保護課は「陰陽連絡道として、幕末の“星雲の志”を運ぶ重要な役割を果たした街道の起点。国史跡への追加指定を目指したい」と話している。

来年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』に向けてまた一つ気になる史跡になりそうだ。

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2009年07月23日

坂本龍馬 皇国復興の議事

来年の大河ドラマ「龍馬伝」のキャストも少しづつ決まり観光ムードも高まっている坂本龍馬の縁の地。

坂本龍馬は行動力溢れる人であったことは周知の事実で、実際に薩摩や越前など東奔西走の日々を過ごしている。
そんなためか、龍馬=実働派、みたいなイメージがあり、議論で展開するよりもまず行動してしまうといったものがあるのではないだろうか。

しかし龍馬は意外と議論を嫌ってはいないのだ。
むしろ議論は大いにすべきだと言っている。

龍馬曰く

此 皇国復興の議事に関係する士大夫は私道を去り、公平に基づき、術策を設けず、正実を貴び、既住の是非曲直を問わず、人心一和を主として此議論を定べし。

議論に際しては私事を捨て去り、公平に謀をせず、誠実を第一にし、住んでいるところや、出自を問わずして、皆が一つの和になって議論して決めるのが良いと言っているのだ。

まさに今の政治家達に言ってやりたい言葉だ。
現代の政治は私利私欲に走り、高官や官僚たちは自身の私服を肥やすことを第一としているようにしか見えない。
漢王朝末期のような状態である。

この低迷している現代には坂本龍馬吉田松陰などのような人物が必要だ。
身命を投げ打って世俗のために走る。このような人物が牽引力となっていくのだろう。

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2009年07月22日

久坂玄瑞 想い見て従容と死所に臨む

長州藩は3隊に分かれ、京都御所を目指して攻め上がった。
世に言う蛤御門の変である。

公武合体派の徳川幕府と薩摩藩による政変で尊皇攘夷派の雄・長州藩が京を追われたのは1年前の8月18日。
孝明天皇の周囲を固める「姦」を駆逐するための起死回生の一手であった。

理不尽な理由と時代の間の中で長州藩の鬱憤は堪っていたのだ。
御所を目指す中に久坂玄瑞がいた。
久坂は戦をするために同行したわけではなかった。

長州藩が早まった行動をしないように自制させるために同行したのだ。
今はまだ戦う時ではない。それが久坂の考えである。

久坂は軍議で「われわれから戦闘をはじめるべきではない。必勝の時機を待つのだ」と説くものの、来島又兵衛「卑怯者! 命が惜しければ留まれ。余は自分の手兵だけでも、君側の姦を排除する!」と云う一言で軍議は決する。

長州藩はこれにより戦闘に突入することになるのだ。

そんな久坂が長州から京都御所に向かうまでの間に詠った歌が次のものである。
「想い見て従容と死所に臨む 依然として顔色、桜花に似たり」

久坂の決意の程と、今から長州藩が行おうとしていることが、どれ程無謀な賭けであるかと言うことをしっかりと自覚しているのだろう。その中で堪った鬱憤を晴らすことが出来るといった高揚感があることを詠っているのだろうか。

そんな久坂玄瑞は戦闘をすることなく、最後まで長州藩の行く末を案じ奔走している。
しかし久坂の努力も空しく長州藩は逆賊としての汚名を着せられてしまう。
負傷した久坂玄瑞は鷹司邸にて自刃し、25歳と言う短い人生に幕を閉じた。

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2009年07月17日

「龍馬伝」の配役発表

大河ドラマ『龍馬伝』の主要キャストを発表された。

坂本龍馬は福山雅治が演じることはすでに周知の通り。
それ以外のキャスティングは龍馬の妻・お龍を真木よう子、龍馬の師・勝海舟を武田鉄矢、龍馬の初恋の人・平井加尾を広末涼子、番組の中心を担う岩崎弥太郎を香川照之、龍馬の盟友・武市瑞山を大森南朋が演じる。

またほかに、武市瑞山の妻 富を奥貫薫、近藤長次郎に大泉洋、人斬り以蔵こと岡田以蔵に佐藤健、龍馬と行動を常に共にした沢村惣之丞に要潤などになっている。

海援隊の活動を金銭面で支え、龍馬につねにライバル意識をもっていた岩崎を演じる香川は「現在の巨大な三菱グループの創始者である岩崎弥太郎が、天国からこのドラマをじっと見張っているかと思うと身が震える思いがします。日本を支えたこの偉人を、失礼のないように演じたい。渾身の力を込めて演じていくつもりです」と意気込みを語った。

 龍馬の幼馴染で互いに思いを寄せるも、兄によりその仲を引き裂かれてしまう平井加尾を演じる広末は「この作品を心から楽しみにしています。私が男に生まれていたなら、坂本龍馬は、人生の中で一度だけでいいから演じてみたい!と思う人物。私は龍馬にはなれない分、この想いを加尾に込めて‥?惚れ込みたいと思います」。

 また、龍馬の妻・楢崎龍を演じる真木は「「私と同世代の若者達が、日本の将来を案じ、国や家族のために自分の命を惜しまず魂をぶつけた“幕末”。そんな波乱の時代を生きた“坂本龍馬”を愛した妻“楢崎龍”を今回演じさせていただくことになり、大変光栄に思っております。実在した女性であるとともに、その存在の大きさに、今は不安や緊張はありますが、私なりの“お龍”を演じられればと思います」と、それぞれコメントを寄せている。
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Posted by 左近将監 at 22:20Comments(0)TrackBack(0)龍馬伝

2009年07月14日

大久保利通 非義勅命は勅命にあらず

幕末、維新の主動力なったのは長州藩と薩摩藩であることは誰が見ても明らかだろう。
その長州藩と薩摩藩は1866年(慶応2年)薩長同盟が結ばれるまでは犬猿の仲であった。

長州藩も薩摩藩もそれぞれの思惑があり、反目しあっていたのだが、心底は関係を改善し日本を変えていきたいといった思いがあった。

それを具体的な行動で示したのが大久保利通である。
大久保利通は1864年(元治元年)の禁門の変後、入京を禁じられていた長州藩のかわりに朝廷工作をおこなっていた。

大久保の行動の裏には坂本龍馬中岡慎太郎の説得があったことは言うまでもないが、大久保は権力を使える自身の身分を利用し朝廷工作を請け負っていたのだ。
時に朝廷は第二次長州征伐の勅命を幕府から打診されており、大久保は長州征伐の勅命が降りないように必死に説いて廻っていた。
薩摩藩は新しい日本、強い日本を作るために島津斉彬が集成館事業を行い富国強兵に努めていた。
時代は倒幕の気運が高まっていき、薩摩藩単独での討幕運動が難しいと判断し、より多くの藩との共同による倒幕を目指し事となる。
まず最初に協力したかったのが、倒幕の急先鋒だった長州藩。

幕府が第二次長州征伐で長州藩を潰してしまうと幕府の力がまた強くなってしまうため、薩摩藩としてもなんとしても第二次長州征伐は食い止めたかったのだ。

大久保はそんな薩摩藩の事情や今後の日本の行く先を考え必死の説得を試みていたが、大久保の説得も空しく、朝廷は勅命を下した。

その時大久保利通がその思いを記した日記にこう書かれていた。
「非義勅命は勅命にあらず」

道理に合わないものはたとえ天皇と命令といえども聞き入れられないとしたものだ。
当時は尊皇攘夷の志士達は天皇を神聖化し崇拝していたが、大久保はそんな中でも真理を求めていたのだろう。
冷静な大久保だけに一時の感情に流されない。

結果的に大久保利通は第二次長州征伐の勅命を止めることは出来なかったが、大久保のその行動は長州藩にも伝わり、後の薩長同盟に繋がっていくのだ。

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Posted by 左近将監 at 08:25Comments(0)TrackBack(0)志士の言霊

2009年07月11日

西郷隆盛 人を相手にせず

幕末の名君 薩摩藩の島津斉彬に可愛がられた男 西郷隆盛

西郷隆盛の思想「敬天愛人」は有名なものである。
「道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以って人を愛するなり」だ。

そんな西郷だったが、尊敬する島津斉彬が死去すると、次の後継者となった斉彬の弟 島津久光を嫌い面と向かって久光を罵ってしまった。
久光の逆鱗に触れた西郷は島流しにされ、沖永良部島で過ごすことになる。

沖永良部島に行った西郷はそこで多くのことを悟ることになる。

悪戯に久光を憎むよりも、薩摩藩のために、国の為に自分が何が出来るか、何をすべきかを考えた。
何もないところで天を見上げ西郷は考えに考えた。
そして悟ったのが、 「人を相手にせず、天を相手にせよ」である。

これにより西郷は行動を変える。
器量の広い男へと変貌したのだ。

その後の西郷隆盛は時代を変える人物となっていく。

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Posted by 左近将監 at 23:24Comments(0)TrackBack(0)志士の言霊

2009年07月10日

坂本龍馬の隠し部屋

幕末の志士坂本龍馬が設立した日本最初の商社「亀山社中」の建物を復元した「市亀山社中記念館」が公開された。
8月1日から一般公開されるという。

亀山社中」は木造平屋で延べ床面積107平方メートル。
亀山社中が使用したと伝えられる家屋を約2900万円かけて改装し、解体作業中に判明した当時の形に近い姿で復元した。
来年から始まる大河ドラマ「龍馬伝」があるので長崎市も必死になるのも理解できる。
おそらく想像以上の観光客が押し寄せることは間違いないだろう。


復元された部屋は、(1)書院風の10畳座敷(2)8畳和室(3)3畳和室と、隠し部屋と伝えられる中2階。
褐色の建具やしっくいの白壁など幕末の家屋の雰囲気を忠実に再現した。

10畳座敷には坂本龍馬がもたれかかって座ったという柱があり、縁側から長崎の町と港を一望する眺めが楽しめる。
隠し部屋は大人数人が十分に潜める広さ。
はしごで上ってその様子を見ることができる。本来の玄関があり、土間として使われていた部分は足元をガラス張りにして、当時の地面が見えるようにした。

10畳座敷と8畳和室には、龍馬が身に着けた紋服、ブーツ、ピストルのほか、書簡などを展示するという。



入館料は一般300円、高校生200円、小・中学生150円。市は年間2万5千人の入館者を見込んでいるという。
これは今年のうちに行っておいた方が良いかもしれないですね。
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Posted by 左近将監 at 20:29Comments(0)TrackBack(0)龍馬伝

2009年07月09日

島津斉彬ゆかりの品展示

近代薩摩の立役者 島津斉彬

鹿児島の尚古集成館で「島津斉彬‐大海原に夢を抱いた殿様」が開催されている。
これは斉彬公ゆかりの品が50点ほど展示されているもので、生誕200年を記念した特別展である。


島津斉彬は蘭学者などに国際情勢を学び、欧米に対抗して近代化を急ぐ必要性を痛感した。
1851年(嘉永4年)にようやく藩主の座に就くと、現在同館のある場所に製鉄などの工場を建設し、日本の工業化のさきがけとなった。
藩の富国強兵に努め洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などの集成館事業を興した。
土佐藩の漂流民でアメリカから帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)を保護し、1854年(安政元年)西洋式帆船・伊呂波丸を完成させ、西洋式軍艦・昇平丸を建造し徳川幕府に献上している。
また日の丸を日本船章にすべきだと献策し、同年に幕府に正規に採用された。

特別展は、同館を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」が昨年12月に世界遺産の暫定リスト入りしたため、正式登録に向けた機運を盛り上げる意味も込めて同館が企画した。
愛用の世界地図や地球儀、電信の実験に使った電線などを展示。
西洋技術の導入を進めた足跡を学ぶことができる。

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タグ :島津斉彬

Posted by 左近将監 at 19:11Comments(0)TrackBack(0)

2009年07月08日

高杉晋作 直言実行、傍若無人

幕末維新の中において一際個性が強かったのが高杉晋作ではないだろうか。

若い頃から優秀な成績であり、家柄や才能などどれをとっても申し分なく将来を渇望されていた高杉晋作
しかし、高杉は若干性格的に難があったようだ。
難と言ってもおかしいわけではない。高杉は人の倍以上に頑固なのだ!

桂小五郎吉田松陰に宛てた手紙の中でこのように記している。
「俊邁なれども惜しむらく少々頑質」

人の意見を聴くことをめっぽう嫌い、自分の意見を頑固に押し通すきらいがあるというのだ。
吉田松陰がまだ生きている時だから、高杉晋作もまだ若い頃の話。
若いゆえに人の意見を聞くことはなかなか出来なかったのだろう。誰にでもあることだ。

しかし高杉の非凡なところは自分自身をしっかりと理解し、自分をコントロールできるところにある。
高杉は自身を語った言葉の中で次のようなものがあるのだ。

「直言実行、傍若無人、身命を軽るんずる気魄あればこそ、国の為に深謀遠慮の忠も尽くさるべし」と。

自分は直言実行で、傍若無人なところもあるが、しかし国の為なることについてはいつも思慮深く考えている。脱藩や断髪、遁世どれも国の為に考え抜いた行動なのだ。

高杉晋作にとって大事だったのは、いざという時に命をかけて国ために忠義を尽くす気魄があるかないかなのである。
だから、周りから頑固に感じる部分も、実は己の気魄から来るものであり、国の為を思うあまりの行動だという。

確かに幕末の混沌としている中、その中でも激動の長州藩内において何度も命を狙われるが、その度に挫ける事無く立ち上がる様は気魄以外のなにものでもないだろう。
高杉の熱い気魄は長州藩を見事に導き、時代が変わる礎を築いたことは間違いない。


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Posted by 左近将監 at 08:32Comments(0)TrackBack(0)志士の言霊

2009年07月07日

桂小五郎 人の巧を取って

明治維新の三傑と呼ばれる桂小五郎

桂は維新を為し遂げた後も政治家として活躍し時代の一翼を担っていた。

桂自身には確固たるポリシーがあった。
そのポリシーとは、吉田松陰に宛てた手紙の中で記されている言葉だ。
「人の巧を取って我が拙を捨て、人の長を取って我が短を補う」だ。

つまらない自尊心や意地に邪魔されることなく、他人の長所を積極的に取り入れ、自分を成長させる。
そんな意味合いだ。

だからこそ、禁門の変後、出雲に潜伏する際も乞食に身をおき、時期の到来を待っていたりもできたのだろう。
若い頃からこうした考えを持っていた桂は、何を行っても優秀な成績であり、吉田松陰曰く「事をなすの才あり」と評され、剣術を学べば神道無念流の免許皆伝得て、入門わずか1年で練兵館塾頭にまでなっている。

これは桂の才能もあるだろうが、やはり常に向上しようとする桂自身のポリシーから来るものなのだろう。

そんな桂でさえ薩長同盟の際に拘った薩摩への怨み。
よほどの悔しさだったのだろう。しかし桂たち長州藩士は己の私念を捨て国の為に同盟を成し遂げるのだ。
常に前を向き、進もうとする桂小五郎あってのものだろう。

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Posted by 左近将監 at 08:21Comments(1)TrackBack(0)志士の言霊

2009年07月06日

「桂小五郎の足跡を巡る旅」 

城崎温泉の老舗旅館が、兵庫県内の桂小五郎ゆかりの地を案内する旅を企画した。

その名は「幕末の但馬路~桂小五郎の足跡を巡る旅」

1864年(元治元年)京都で長州藩が薩摩などを相手に戦った禁門の変後、桂小五郎が逃亡先として潜伏していた旅館「つたや」(当時は松本屋)が主催。

旅館前には潜伏を示す碑があり、館内には桂の書状などが展示されている。
司馬遼太郎「竜馬がゆく」の執筆で訪れたこともあり、幕末ファンには人気のスポットです。

ボクも実際に訪れたことがありますが、いい所ですよ。
静かで佇まいがよく、多くの観光客が気ままに散策しているようなところでした。

この企画は先月の25日に開催で、つたやをバスで出発後、桂が役人に取り調べを受けた際、町人に助けられたとされる「久畑の関所」跡(同市)や、名前を変えて荒物店を営んだ「城下町・出石」(同市)、新選組の目を逃れるため隠れていたとされる「西念寺」(養父市)などを見学する。

当然ながら宿泊者が対象で、先着8人。

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タグ :桂小五郎

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